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西神楽 良雄。二十二歳、公務員。
この年にして収入は安定。親に仕送りまでして、ついでにこの間バイクを買った。マイホームは無いが、安定した収入のお陰で家賃は滞りなく払い、管理人のおばちゃんからは「本当にヨシオくんは偉いわぁ〜私の息子なんか……」と数時間愚痴をこぼされたばかりで、彼女はいないが同棲はしているという平凡な男だ。
ただ
ただ俺のガキの頃のクリスマスのお願い事が「僕をサンタさんにしてください!」などという純朴なものでなければ、俺はさらに平凡な生活が送れていただろう。
あまりの年不相応の高額な仕送りに、俺の職業にはっきりと不安を覚えた家族が俺に電話して、それに「大丈夫だよ。俺、公務員だから」と言ってにげる必要もなかったはずだし。
「安心してください。息子さんは私が守りますから」と意味不明な事を電話先の家族に口走る『非人間』の女をかくまう必要もない。
馬鹿な奴らの馬鹿な『サンタさんへのお願い事』を聞く必要だってなかったのだ。
あぁ、皆さん。
誰か俺を助けてください。
サンタは公務員です。
■ オタクとサンタとたぶん、鹿
ぼろいアパートの壁は、朝から恐ろしいまでもの轟音を俺の部屋へと筒抜けにさせていた。轟音の振動で俺の部屋は軋み、酷い騒音で俺の鼓膜も軋み、ついでに俺の中の『何か』もギシギシビチビチと明らかに切れかけている音がした。精神的にか、体力的にか、はたまた心身共にか……いや、絶対に俺という存在そのものが軋みをあげていたのだ。限界、と言うやつだ。わかるだろうか、限界。そのものの上限、ということだ。
いや、おそらくわかっていないだろう。この、隣の住民は。
『あなたと〜一緒に〜夢を見て〜いた〜いの〜ニャン♪』
ニャンじゃ、ねぇよ
轟音の正体は歌だ。ただ普通のJ―POPと違うのは、歌手の声がバカみたいに高音な所だ。ついでにいうなら歌詞もまともじゃない。
『ご主人様ぁ〜のご言い付けぇ〜どぉりに〜頑張るニャン♪』
「ニャンじゃねぇつってんだろ! この糞ボケがぁぁ!! 朝からアニメ見てんじゃねぇよ! ニート野郎!!」
毎朝繰り返されるこの馬鹿騒ぎに遂に俺は体の何かをブチ切れさせて、壁にワンツー・アッパーを叩き込んだ。バキ、ベキ、と木製のなにか(というか壁)が崩壊する音がしたが、この際気にしない。殴る、殴りまくる。きっと、この壁は俺の親の敵だ。間違いない。敵、敵なのだ。そうだ、この先には『アニメオタク、ニート』がいるんだ。奴を倒さねばならない。つぶす。殴る殴る殴る………………
しばらくして、音楽はやっととまった。
しかし音は止まったのにもかかわらず、俺の頭の中には『ご主人〜さまぁ〜だけのもの〜ニャン♪』といまだ曲はかかり続けていた。間違いない、幻聴だ。しかしその音ははっきりと俺の脳内に響いていて、俺の小脳か、それとも間脳? はたまた海馬辺りをその高温で(高音で)焼き尽くさんとしていた。
「クソッ……パラサイトシングルが……ファッキンニートだ、豚野郎……」
俺はベットの上で息を切らしながら呟いた。別にワンツー・アッパーで疲れたわけじゃない。これでもプロテストは合格している。おそらく夜中中うなされていたのだ、このわけのわからない隣人からのアニメソングとやらに。
この間真相報道パンキシャでやっていた。
『激増する「オタク」。急激に爆進するアニメ業界』
という題名で
『記者「アニメのどこがいいんですか?」
青年(オタク)「絶対裏切らないじゃないですかぁ〜それにあの……なんというか、保護欲? ていうんですか、可愛いいじゃないですか〜、萌えますよね」
記者「もえる?」
青年(オタク)「萌えるっていうのはぁ〜」』
『モエモエモエ〜夢みてファイトぉ! だってあなたにあえたんだモン(セリフ)』
「だぁぁぁぁぁぁぁー!! うるせぇぇぇぇぇぇー!!」
再度流れ始めた高音の声に、朝食にしようとしていた玉子(生)を思いっきり壁にぶつけてしまった。グチャッと嫌な音と共に黄身と白身が垂れる。怒りに任せて怒鳴る。
「何が夢見てファイトだボケが!! 夢がねぇからひきこもってんだろが!!」
そのままゼイゼイゼイゼイと咽をひくつかせた。つらい……何で俺がこんな目に……
この部屋の隣、俺の部屋とそう変わらない造りの部屋の住人は、はっきり言って、というか確実にオタクだろう。しかも映画オタクとか格闘技オタクなど多種様々なオタク(パンキシャより)の中で奴と来たら
『〜ニャン♪』
……アニメオタクなのだ。しかもたぶん、猫とかそっち系の深みにハマッた。
考えてみろ、俺がひきこもりと言ったら音量をあげやがった。確実にひきこもりでオタクだ。対人関係が悪すぎる。もう俺は無視をすることにした。どうせ、すぐに仕事なのだ。仕事にこんな些細な……と言えないでもないが……ことを持ち込むわけにはいかない。実を言うと今日からが仕事は大変なのだ。
しょうがなく、俺は朝食の準備を始めることにする。狭いアパートの一室だ。それほど歩かなくても台所には着き、当然その手のかかるところに冷蔵庫はある。そこから玉子と、牛乳、それに冷凍してあったパンを掴み取った。
と、高音、轟音の中で一際静かな音を立てているものがあった。
「…くぅ……くぅ…」
「…………」
俺は、先程から俺の横で寝ていたらしい『見た目は』女の子の胸倉を掴んでゆさゆさと揺らした。
「お前も起きろよ……この状況でなんで寝てられんのか俺に説明してくれよ。あと、何で俺の横で寝てたのかも聞かせてくれ。お前昨日玄関で寝てたろ」
その女は揺らされるたびに、ふにゃむにゃうにゃむにゃと呟きながら、体を軟体動物のごとくぐにゃぐにゃとさせ、肩までの髪を揺らす。しかし、おきない。おそらく、神経がまともじゃないのだ。いや、過剰な反応と思うなかれ。こいつは確かにオカシイ。
そう、常識から逸脱している存在なのだ。コイツも、俺も。
その行動を三分間ほど繰り返した後、俺はいい加減腹がたってきた。
「おい……おい…………おい、『鹿』ァァァ!!」
さらにがくがく揺らして、耳元で叫ぶと、やっとコイツは目をさました。馬鹿みたいに周りを見渡し、俺を見つけるとぺこりと頭を下げて、またふらふらと頭をまわす。
「はれ……? 朝?」
「夜なわけないだろう……ったくよ、寝くさりやがって。役にたたないなら朝飯くらい作ってくれ……」
彼女……正確には『雌鹿』に当たるはずのその女の子は、欠伸混じりにベットから体を上げて背伸びした。軽く屈伸をして、もう一度欠伸をする。のんきなものだ。
「無理ですよ。私人間の味覚には慣れないですもん」
そのまま冷蔵庫に直行し、冷凍庫を空けて箱入りのバニラアイスを手に取った。アイスを見ると、彼女の顔つきがとても嬉しそうな表情に変わる。楽しそうに目をつぶって朝の匂いを吸い込んで、スプーンを台所の引き出しから引っ張り出した。
言っておくが、バニラアイスは彼女の毎日の主食だ。……おやつでは決してない。あくまでも主食だ。
「毎朝毎朝アイスばっか食いやがって……」
「他に食べるもの無いですから。大丈夫ですよ。他の事はそつなくこなしますから」
「死にさらせ」
俺は玉子を再度手にとると、鍋のお湯の中に落とした。カツンと軽い音がし、ぶくぶくと泡がたつ。俺はその鍋から立ち上がる湯気が温かそうだったので、手をその中に突っ込んでみた。
薄ぼんやりとした温かさが両手をやんわりと包み込み、それが体の芯へと伝わってジーンと安心感のような感覚を俺に与えた。
季節は三月とはいえ、朝はやっぱり一桁台。寒い。
にもかかわらず、感覚のイカれたこの女はぱくぱくぱくぱくとアイスを口に運び、さらにはその様子に身震いしている俺に、ぬけぬけとぬかす。
「あ、この曲可愛い〜。なんて曲?」
……妙にハイテンションにさわぐ女に、俺ははっきりと愚痴を口にした。
「……やっぱりお前人間と感覚掛け離れてるわ。まともじゃない」
そう
そう。まともじゃないわけだ。こいつだけじゃない。俺もだ。
まぁ、「実は俺、堅気じゃないんだ!」 なんてことはない。しごく善人であり、コンビニで出たお釣りはたまに募金箱に入れるような、そんな一般的な感覚の持ち主だ。アインシュタインは言った。「神の前では我々は平等に賢く、平等に愚かです」そう、俺たちはちゃんとみんなと同じように賢く、そしてどこか愚かだ。そこには何の差異もない。俺たちは普通の人だ。もしかしたら、普通の人より劣っているかもしれない。ただ、それでも俺たちは生きているから、神様の前では俺たちは皆、同じなのだ。
……しかし、一つだけ……一つだけ、一般的ではないものがある。
いや、大丈夫。だって隣の住人を見てみろ。変人だ。夜中中アニメソングを大音量でかけまくり、まともに外にも出ないのに隣人の正当な批判にも逆に反論するような変人だ。変態だ。さらにいうなら幼女趣味で、もし法が変わって児童犯罪を起こした者が公表されると言うなら真っ先に名前が出てきそうで、ついでに引きこもりである。ヒッキー。宇多田も真っ白だ。
そういうことからわかるように、人間、どこかにアブノーマルな所を持ち合わせているものなのだ。だから言おう。
俺はサンタです。
鹿と同棲しています。
トナカイじゃなくて、鹿。
「よっしー、朝ご飯食べないの?」
鹿がアイスをぱくつきながら俺に言った。
「俺はよっしーじゃねぇよ、良雄だ。鹿マリオ」
二十二歳、サンタはちゃんと切り返した……はずだ。
はたから見れば、こいつは愉快なカップルに見えただろうさ。
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