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やられた。
気がつくのが遅すぎた。まさか、予想通りだなんて誰が考えるか。
このビルに潜入する前からもう俺達は嵌められていたのか。さすがにただ者じゃないわけだ。そうだよな、この日本の民族なんだ。少しでも考えればわかったはずだ。むしろ事件が始ったときから、もう、俺達の動きは読まれていると仮定して動くべきだった。
ふぅ、と息をはく。少しだけ柱に頭をぶつけると、ぐっとアサルトライフル……P90を握り締め、歯を食いしばった。都市迷彩を施した自分の姿を確認し、今がどんな状況なのか思い出す。そしてもう一度、息を吐き、吸った。
立ち上がった想は瞬間的に隠れていた柱から頭を出し、銃口をつぶされた回転扉の入り口へ向けた。そしてそこから入ったところにある広いロビーを、逆側へ再度瞬間的に頭を出して見る。
回転扉の玄関からロビーの奥までは、中央を空けて連なるように柱が立ち並び、中央には国営放送の象徴である奇怪なマーク、奥には一階より少し階段を上がった先にあるエレベーター。
カチャンと金属とコンクリートが当たる甲高い音がした。さっと想の頭の芯が冷えた。
心臓が、冷たい何かにわしづかみにされるような、それは、『恐怖』
次の瞬間、タイルが重い『何か』に叩き潰される硬質な音が辺りの空気を暴力的に震わせた。びくりと想は体を反射的にすくませて、しかしぐっとその体を押さえつけ、柱から目だけを出して確認する。
その男は、いた。
その男は、いったい何階から飛び降りたのだろう。周りには彼の着地の衝撃で叩き割られたタイルが散乱しており、細かく飛び散った粉塵が煙のように空気に舞っていた。
その中心で、影にしか見えない男が揺らいだ。
「……逃げるのかね? それもいいだろう。進化した人間と言うのは、時として畏怖の対象とされる。それはなぜかわかるかね? 『名前の無い削除者達』よ」
男は大仰な仕草でそう言った。
煙の中から歩いて男は姿を現す。
明らかに肥満体である丸太のような腹を突き出し、しかし顔はそういう人物達に共通している下卑た顔ではない。理知的で、知性に溢れた男の顔は、太った体躯とは似合わない。
そう、似合わないのだ。想は思った。カチャリと銃を揺らす。
スーツ姿に、刀なんて、ふざけているとしか思えないほど、似合わない。
「そうは思わないかね? 我々D・childrenとはただ単に作られた存在であるとなぜ思ったのだ、人間よ。確かにそう、我々は作られた存在でもある。だがな、人間よ」
男は握った刀を床にたらし、シャリシャリというコンクリートと金属の触れる甲高い音を立てながら歩き出す。刀の鋭い輝きとは対照的に、表情は穏やかだった。
「それは間違いだ。お前達は自分達の限界を知っていた。なぁ、人間よ。だから作ったのだろう? 自分達では出来ない、限界を超えた進化の遺伝子を持つ、最高の人間を……D・childrenとは、作られると同時に『進化』した人間なんだよ」
想は顔を柱に引っ込めた。そっと脳内OSを起動し、メーラーを呼び出す。清が顔を出した。
『大丈夫か想!? こちらも奴のIDとパスを抜こうとしているのだが――』
焦った表情で怒鳴る静に想はなるべく平静を装って呟いた。
「……静、セーブを切れ」
『……何?』
視界の端の静の表情がゆがむ。
『……ダメだ。それは許可できない。お前はそれが何を意味するのかわかってるのか?』
「わからねえよ」
金属音が聞こえた。チャリ、という僅かな音だったが、その音は確実に先程の位置から近づいていた。
想はカチャリとP90を揺らすと、頭へとずらしていた暗視装置を床に捨てた。視界の端の静の顔を一瞬だけ意識し、ぐっと目に力をこめた。額を流れる汗が床にたれた。震える咽で空気を吐き出すと、その呼気も震えていた。
心臓が掴まれる。やけどするほど、冷えた手。握りつぶされる。
「自分のことなんて、誰もわからない。誰も、知らない」
バッと想は柱から身を出した。
銃を、男へと向ける。
「そこかぁッ!」
その途端、階段の途中にいた太った男は、跳んだ。
信じられないほどの跳躍、五十メートルはあろうかという距離を一瞬のうちに飛び越え、想へ突っ込んでくる。
想は、横へと走り出した。全力で、止まるわけにはいかない。
自分へと到達する前に構えていた銃の引き金を飛んでくる男へと引いた。
「――ッぅあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
火薬の炸裂する、轟音が響く。
想の持つ銃から飛び出した弾丸は一秒に五発という超速の勢いで男へ飛び、次々と閃光が男を襲う。
「フッ! セェアッ!」
しかし男に弾丸は当たらない。
男は手に持った刀を銀色の輝きに変え、甲高い音と共に弾丸を弾き飛ばした。
信じられない光景。目が追いつかない程素早く振られた刀は、ほとんど鈍い輝きの塊でしかない。
想の銃の弾丸が尽きる。すぐさまマガジンを捨て、ベストから別のマガジンを引き抜く。
男はその瞬間を逃さない、上段から一気に刀を振り下げる。
しかし男が叩いたのはコンクリートの床でしかなかった。想はギリギリで体を回転させて避けていた。僅か二、三メートルばかりの至近距離でマガジンを叩き込み、男へと銃を向ける。
引き金を引く
轟音が響き、男へと銃弾がばら撒れる。
「セリャァァァァァァァアアアアアアア!」
しかし男はそれをも刀を使って弾き飛ばす。鼓膜を破るかと言うほどの金属と金属の奏でる高音が響いたが、男はそれを気にも留めない。
想はそれを確認しながら後退し、柱に隠れる。背を押し付け、チラリと男を見、その姿が後姿なのを確認すると、さらに走った。
男は音に反応してそちらを見るが、その瞬間にはもう想は違う柱に移動している。
男は想を見失ったことに気づき、またも、笑った。
「人間よ。いい動きをする。だがな、それもムダだよ。できなかったものは狩られ、できたものは狩る側に回る。進化とはそういうものなのだ」
想はそれを聞きながら弾の尽きたマガジンを捨て、腰に巻いたポーチから素早く代えのマガジンを取り出して銃に叩き込む。カチャリ、という音がやけに心臓に響いた。
先程から心臓の鼓動が止まない。耳を打つ血液の流れがうるさくてたまらない。
想はギュッと歯を食いしばった。
『想、大丈夫か!? 想!』
視界の端で叫んでいる静を睨んで小声で怒鳴る。
「静! 俺のセーブを切れ! このままだとただ黙って死ぬだけだ!」
『だが、しかし……!』
しかしその押さえつけた声も、強化されたその男には十分すぎるほどの情報だった。
男が振り返った。ふぉんという空気を振り乱す音を立てながら、信じられないほどの速さで男はバック転し、ついた手で一気に後ろへと体を押し出す。
空気を裂き、男がさかさまになりながら跳びだした。
次の瞬間には、目にきらめく銀色の輝き。
「――くッそッ!」
ひゅんという、文字通り空気を切り裂く音を聞きながら、想は瞬時に頭を下げてギリギリ横に振られた刀の軌道を避ける。直後にさらに大きく甲高い音が空気と共に想の耳をたたく。空気でさえ男の斬撃について来れていないのだ。
「セーブを……!」
想は銃尻を下から振り上げ、男のアゴをたたき上げる。骨の折れる鈍い音があたりに響き渡る。
男はそれでも笑う。
想はその表情をもう見ていなかった。吐く息と共に上げた銃尻を上から下へと叩きつける。男の後頭部への一撃。頭蓋のヘしゃげる音が響く。
さらにすぐさまそのまま銃を構え、至近距離から銃弾をはじき出す。
火薬の炸裂する、連続する爆発音、轟音
そしてそれに連なる甲高い金属音
腰だめに銃を撃つ僅か数センチ前で、男は刀を振る。閃光ときらめきが二人の間で重なり合う。
「――ッ!」
かちん、と間の抜けたような音が響いた。
想の額を、冷たい汗が流れる。引き金を引いても、もう弾は出ない。
「ぐッ――」
想は胸のナイフへ手を伸ばし、引き抜くと同時に男の首を狙った。
男はピクリともしなかった。ただ笑顔のままナイフを握る手を掴む。
心臓が、グキュと音を立てて収縮した。
「……ふッ……ふッ……ふッふッ……!」
恐怖で体が弛緩する。だめだッ 力を抜くな! 動かせ、動かすんだッ!
想は掴まれた腕をムチャクチャに振った。抜けそうになる力を必死にこめて、男から逃れようと暴れるように腕を揺らす。男の腕は、動かない。
男は掴んだ腕に両手をそえ、ゆっくりと上へと押し上げていった。
「……がぁッ! ……あぁ……ぁああ!」
ゆっくりと、ゆっくりと、それは持ち上げられる。きしみを上げる腕の関節からは電撃が走るような痛みが走り回る。
ぎゅッ ぎゅぎ ぎゅがッ ぎぎぎぎぎぎいいいぃぃぃぃ……
「……ぁぁぁぁぁあああああああああぐがああああああああッ!」
ゴキシャという音と共に、腕がねじ千切られたような痛みが、全身を走りすぎた
「――ッ! ぐぎゃぁぁぁぁあああああ!」
痛みで意識が飛びそうになり、悲鳴を上げた想に、男は、一歩前に歩みを進める。
刀を、マガジン一つ分の二十四発の弾丸すべてを弾き飛ばした刀を、ゆっくりと右上段に取りながら笑っていた。鼻が触れ合うのではないかと言うほどの至近距離。
男の呼気が、想の顔に当たる。
想は腕をぶら下げながら、その顔を見た。
心臓が『死』の一文字を描いて、もう一度、ゴキュッと収縮した。
「……いや、楽しかったよ。人間と言うのは最後まで足掻く。その姿は、時として美しく輝きに満ちるものだ。……もっともそれは」
その瞬間、男は、笑わなかった。下から目玉をねじ込むように想を見上げた。
「最後の灯し火だがな」
ジュバガッととんでもない音があたりに響き渡った。男が全力で刀を振ったのだ。上から下への、単純ながら最速の攻撃。
「――ッがぁ!」
想はその攻撃にほぼ反射的に銃を突き出していた。ガキリ、という強化プラスチック製の銃がへし折れる音が響く。しかし想はそれを耳に入れず、そのまま後方へ飛びすさった。
「静!!」
男と数メートルの距離を開けながら想は叫んだ。太ももに手を出し、つや消しの黒に染められた拳銃を引き抜く。
「セーブをきれぇぇぇぇぇェェェェェェ――!!」
男はその空けた距離をも跳び越し、刀を振り上げた。想はそれに照準を合わせて、引き金を引く。
しかしその、何度も衝撃と共に響いたバガッという炸裂音も、彼を止めるには至れない。弾丸は彼の体には当たらず刀に弾き飛ばされ、さらに男は弾いた後も刀の構えを崩さない。
今や、男はすべてを見越していた。
男の刀が、バネ仕掛けのように降り下げられた。
刀は想の瞳の中にそのきらめきを反射させ――
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夜、喧騒が響く都市・東京
車のクラクションが遠くから静かに響く。
漆黒に塗りつぶされるはずの夜空にキラキラとしたイルミネーションたちが美しく夜景を彩り、それが夜空に薄く光を上塗りしていた。
そんな空の下、東京の街の中では高低まちまちなビルたちの窓から漏れる光と、白く光る街灯が街行く通行人達の顔を照らし出していた。いつものように人工的ながら美しい、イルミネーションの世界は、別段何の問題がないように、そう、いつものように静かに夜を迎えているはずだった。
しかし、いつもとは僅かながら雰囲気が違う。道行く人々の足取りは心なしか早足だ。……いや、目に見えてはっきりと小走りに走る者もいる。皆、なにかにおびえるように、顔に不安を貼り付けていた。
その上空を断続的に空気を切り裂く音が通り過ぎた。
夜景を作り出すビルや、看板のイルミネーションの間を音の主……真っ黒なヘリが空気を切り裂くように飛び去った。地上から二百メートルほど上空を轟音と共に過ぎ去るヘリ……航空自衛隊所属、UH-60
ブラックホークだ。真っ黒な機体、機体横に飛び出た設置機銃。凶暴な装備と合い混じったその姿は、見るものに絶対的で巨大な暴力の塊として姿をさらす。
早足で家路へ向かっていた人々が、その姿を目で追う。
「おい……あれ、普通のヘリじゃねぇよ……!」
「ホントだ……ねぇ、あのヘリコプターってやっぱりあそこに……」
中にはその真っ黒な機体が見えずに騒ぎ立てるものもいたが、それは周辺の人々を巻き込んで混乱を呼んだだけだった。
喧騒があたりに響き渡る。
その光景を尻目に、上空のヘリは目標に向かって、前頭部に重心を置きながら全速で突き進む。
その内部では、美しい夜景とは対照的な真っ黒な格好をした男達がうごめいていた。
黒い特殊ラバースーツに防弾チョッキ、防刃パンツにスーツ、対爆発散乱物防護プレート、暗視装置PVS―7A、そして、アサルトライフル……MP5。その装備はすべて、彼らが警察特殊部隊SATの隊員である事を表していた。
そのうちの一人が、ヘリのタラップから身を乗り出した。途端に体に吹きつけて来る空気に耐えながら、外の様子を確認する。そのまま先程から叫び続けている無線を耳に押し付ける。
『……関東国営放送ビル内部でビルジャック発生、事件システム関係者およびSATは即座に現場に向かい、現場の状況維持及び一般人の避難を……』
視線の先には巨大なビル。警察特殊車両からの照明と、ビルが航空機用の警告ランプが点灯しているだけで、ビル自体に光は無い。……おそらく、占拠したテロ部隊がブレーカーごと断ち切ったのだろう。
ふっと彼は息を吐いた。吐いた息が白い。外の温度は3℃。冬というのは彼の嫌いな季節だった。吐く息が白くなるのもさることながら、吸い込む空気も冷たいのは嫌だった。体の奥まで冷機がねじ込んでくるようなその気分が、彼に不吉な予感を感じさせる。
だが、彼はその空気を深く吸い込んだ。顔を覆うマスクも外す。
『警視庁よりSATへ。現在状況を報告せよ』
彼はその無粋な無線の要請にマスクをずらした口を開く。
『現在東京都渋谷区神南付近。作戦稼動可能区域到達……命令を待つ。オーバー』
『了解』の声を聞かずに彼はまた空気を深く吸い込んだ。テロ部隊が占拠したという、灰色で、不気味にライトアップされたビルを再度見る。
例え、こんな冷たく、不安をあおるような空気でも……これからは吸えなくなるかもしれないのだ。
ゴキュ、と咽が鳴った。
東京の空は、変わらず綺麗だ。
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