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「……ついにこの時が来ましたか」
つややかな髪を長くたらした女性は、暗くなったその部屋の中でぽそりと呟いた。
その部屋は夜の闇の支配を素直に受け入れている。しかしそこにはやはり、この時代には……いや、明かりと言う存在が現れたその時から、人が生きるのに欠かせない存在となっていたそれ、『人工的な光』が薄っすらと照らしていた
その光、それは部屋の一部に埋め込まれた大型のディスプレイによって支えられている。
ディスプレイは全体に薄緑色に発光しており、その中には一つの画像が表示されていた。
明かりが消えて闇にまぎれた灰色のビル。僅かに残るのは、航空機にビルの存在を知らしめる為の警告灯、そしてまるで生き物の様に動き回る照明だけだった。その明るい照明も、中の様子を確認できるまでにはいたらない。どうやら光を遮断するためにカーテンと防火シャッターを下ろしてあるようだ。
「……国内組織によるジャックテロ。これに関して日本国家の首相である私は、これを鎮圧するためにあなた達民間傭兵部隊を使用することを決定しました」
女性の座る椅子の前には、木目の美しい縦長の机がある。そこには同じような書類がいくつか揃えられており、その書類の前にはその数の分だけ人間が存在していた。
「我々は決して、君達を過大評価も、過小評価もしていない。これは我々、日本を防衛する組織の人間達が『日本』という国家を守るために出した『正式な見解』だよ。とはいえ、君達はあまり勘ぐりすぎることは無い。君達は我々が要求することに素直に従い、迅速に行動を行えばいい」
彼等はいかつい者、肥大な者、複雑そうな、硬質な顔を持つ者。色々な者がいたが彼らに共通することは一つ。
(……制服組も背広組も、上の連中は皆嫌な顔をしている)
その机の前に座る一人、静は口には出さずに、彼ら一人一人の顔を見ながら思った。警察課、警備課、日防、対テロ課、国際外務課、内務情報課……JASPの上層部の全精力勢ぞろいといったところか。よく肥えた者もいるが、切れた顔の者もいる。上に昇りつめるのに必死になった結果、引き払った犠牲がそれらなのだろう。何も知らない一般人達はそれを『高慢』や『疑心暗鬼』の象徴として皮肉った笑みを浮かべるだろうが、彼らと同じ様に人の上に立つ人間である静には、笑うどころか未来への悲哀すら感じる。自分の行く末を想像したのだ。
「どうかね、引き受けてもらえるかな? 君達『WMC』の正式な見解というのもお聞きしたいところなのだが?」
「……引き受けるも何も、前回の契約で我々に拒否権はありませんので」
警察課の陰謀生の高い質問に静は律儀に答えた。
暗い部屋の中で、『彼女』のシルクのような純白の肌を持つ顔は、目立つ。端正なその顔も目立つ要因でもある。
静はディスプレイの光を遮る女性、2204年、現日本の首相である橘首相に向き直った。
「我々はあなた方、一部政府組織の要望にしたがいます。我々『WMC』はこの事件に関しての一切の機密を言外しないことを誓約し、あなた方の要望する目的をあらゆる手段を講じて達成します」
「……いいでしょう。でこの事件についての詳しい説明は必要ですか?」
橘首相の言葉に静はうなずく。橘はそれを確認すると、椅子をディスプレイに正対させた。ディスプレイは、それに呼応するように電子音と共に映像を追加表示させた。
「このディスプレイは私の脳内OSのハード上にあるアプリケーションを使用して、コントロールしています。……念のため。では、事件の説明を行いましょう」
追加された映像はモザイクも入っていない、二人の人間の惨殺映像だった。
二人は現在主流になっている一般警察官の防護服に身をに包んでいる。その体に弾丸を撃ち込まれ、開いた口からは千切れた舌が飛び出している。目玉は信じられないという表情を表していたが、おそらくそれは目がしらを撃ちぬいた銃弾によって、まぶたの肉が銃創の中へ引き込まれたからだろう。もう一人も同じ。こちらは銃を握ったまま死んでいるので、まだマシだ。反撃に出ようとしたが、その額を撃ち抜かれ、脳髄を撒き散らしながら死んだ……そんなところだろう。黄色い脳しょうが灰色のタイルに巻き散らかされていた。
そんなグロテスクな映像にも首相は何の感慨も無いように、書類片手に淡々と説明をする。
「2204年2月24日。 現在から二十四時間前に国営放送局内部より携帯端末による警察への緊急回線通信が入りました。監禁されているというその男性の救助要請により、近くを巡回中の武装警察官二名が国営放送ビルに向かいましたが、数分後に彼らの生命反応は警視庁の課員情報センターより消失しました」
首相はディスプレイに目を向ける。ピッという電子音がした。
追加された映像は一人の人間を映し出す。遠くにある小さな窓を、望遠レンズでフルに使用して撮ったような映像だ。目元だけ肌を露出するマスクをかぶり、手にAK-47……フルオートのアサルトライフルを握り締めた人間がビルの廊下を歩いている。しばらくすると近くにあった赤い箱型の機械に手を差し出し、窓の防火シャッターを閉める姿が映し出された。シャッターが閉まるとその姿も見えなくなる。
「その直後にビルの入り口となっている大型回転扉を爆破、瓦礫によって進入経路を絶った後、警察のホットラインに『ビルをジャックした』という音声通信を入れています。警察関係者はその日の午後二時にSATを使って武装勢力の事実を確認し、これを政府に報告。我々はこれを『テロ』と認識しました」
スッと首相は息を吐き、静を見つめた。
「彼らは自分たちのことを『十八の協同組織』と名乗っており、グループについても、目的についても何一つわかってはいません。これに対し我々内閣府は十八時間前JSPAテロ対策本部設置をおこない、情報収集及びグループとの接触を開始しました。しかし先程申しましたとおり目的、ググループについての情報は何一つ掴めず、停滞状態が続いています」
ここで首相は黙った。不自然な止まり方に静が眉をひそめると、まるで首相が黙るのを待ち構えていたように内務情報課の鋭い目つきをした男が静に口を開く。
「失礼。我々も君達について調べたのだがね、君達の素性が知れんのだよ。どこのデータベース上にも情報が載っていなかった……君達はつまりルーキーと考えていいのかな、つまり」
「民間傭兵部隊としてはそうです」
「…………」
静の先を見越した簡潔な言葉に、男は少し罰が悪そうに「……フム」と頷くと、ソファにまた深く座りなおした。
どこのデータベース上にも情報が載っていない。ならどうやって彼等は私たちのことを知ったのか。静は思ったが、それを別段顔には出さなかった。おそらく、今の自分はここにおいては恐ろしいほどに旗色が悪い。新薬を投与されて、その副作用を調べられているモルモットのような、そんな存在だ。
「お話を戻してよいかしら?」
首相の言葉に部屋の空気が静から橘に向かった。橘は頷くと、椅子の横に置いてあったとおぼしきトランクを机の上に上げた
「ここまでが、一般のマスコミに流したブラフです」
トランクから出したのは、映像用MOディスクだった。
「……ウソ? なぜわざわざブラフ情報を」
静のもっともな主調にも、首相は姿勢を崩さない。MOディスクを腰にしまっていたROMリーダーに差し込むと、映像をディスプレイに表示した。
「……ブラフの使用理由は一つ。国民を国家に有利なように動かす為」
そう言った首相の後ろのディスプレイには、マスクをかぶったAK−47を握る二人の男。それを左右に引き連れ、一人の太った男が指を交差させ、ディスクの上にひざを突いて座っていた。
「彼らの本当の名は、『真実の探求者』。そして、首領は中川 義春」
そう言うと、首相はふっと笑った。
「国営放送局会長の男です」
「失礼しますよ」
今後の対応を話し合った後、部屋を出た静を呼び止めたのは、センスの悪い太い黒縁メガネをかけた中年の男だった。
うすっらと笑うその風貌、よれたスーツをだらしなく着こなすその男は、静にはあまりよい印象を与えなかった。不快を顔に出したわけではないが、しかしその男は「あ、いや、失敬しました……なにぶん仕事がたまっておりましてね、身だしなみなどに気を使う暇がなく」とだいぶ後退した額に手を置きながら口を開く。
「お願いしたいことがありまして」
「お願い?」
「ええ。あ、紹介が遅れましたね」
男は懐に手を入れると、そこから名刺を取り出した。白地に黒の文字の簡素な名刺だ。
「……外務省内政情報局局長」
名刺の冒頭に書かれていた所属部署の名前を読み上げた静に、男はハハハ、と苦笑する。
「あ、いや。やはりそちらの肩書きに目が行ってしまいますか? なんだかしょうもない部署であるのにたいそうな肩書きがついてしまっているものですから、私どもも肩身が狭く……あ、私の名前は中神 勘斗ですので、以後お見知りおきを」
「……外務省の方が我々に何か御用でしょうか」
男の軽薄な態度に多少のひっかかりを感じながらも、静は早めに仕事に取り掛かりたかった。名刺をスーツの胸ポケットにしまうと、時計を指差し、時間が無いことを示す。
「これは失礼いたしました。外務省の者であるのに相談相手のご都合を考えないなど……」
「用が無いのであれば私は仕事に向かいますが」
「おやおや、嫌われてしまいましたか? これは交渉に非常に悪影響ですな」
またも男笑った。……ふざけた男だ。
静は男に背を向けると階段へ向かって歩き出した。例え一国の頭が集まる場所であったとしても、そこにいるのは所詮人間。利口で頭の切れる人間もいれば、頭のねじが行かれたおかしい奴もいる。
静は階段の手すりに手を掛けた。
『お願いしたいこととは、会長によるテロに関したことです』
静は立ち止まった。
その声の主である男は、声を張り上げたわけではなかった。
その男は、中神と名乗ったその男は、先程の場所から一歩も動いていない。だが、声は聞こえる。
「おやぁ、驚きましたか? いやいや失敬失敬」
視界の端に、中神がいた。薄笑いに、黒縁めがね。……脳内OSを使用した多量情報ネットワーク通信。脳の視聴覚野を利用した直接の映像表示。
(……私の通信ネットパスを)
大戦期ではないのだ。現在の脳を通した通信にはネットパスが必要となる。それは数字であったり、記号であったり、果てはDNA情報であったりとさまざまだが、そのパスがなければ他人との脳内OSを使用した通信は行えない。危険すぎるからだ。スパムメールが大量に届くことによってサーバーが落ちるのと同様に、ネットを介した情報量が多すぎる場合、脳内OS
がクラッシュし、脳を侵食されることもある。
この視界の端に現れた男は、いつの間にか静の通信ネットパスを抜いていた。さらにパスを使用して通信回線を開き、静のネットIDまで取得して通信をしている。
いったい……今の僅かな間の会話の中でどうやって――
『いえ、なぁに。別に悪いことに使おうなんてそんなことはありません。私は国家公務員ですからね』
通信ソフトを使って顔を表示させている中神だが、やはりその顔は薄気味悪く笑っている。
静は目を見開き、ギュッと手を握った。
(……部屋にいたのは警察課、警備課、日防、対テロ課、国際外務課、内務情報課)
静はそっと胸ポケットから名刺を取り出した。それを順に見ていく。
(……外務省内政情報局)
『しかし我々はそれと同時に非合法の組織でもあります。あ、名刺に名前はついていますが、それは便宜上の名前です。実際には名前はつけられてません』
「……先程の会議には出席していなかったな。なぜ暗殺について知っている」
『私は交渉人です。残念ながらこちらに利益の無い一方的な情報の譲渡には応じられません』
中神は笑顔のままだ。
中神は暫くの沈黙の後、額を拭いながら口を開いた。
『現在この国がどのような状況下に置かれているかあなたは知っていますか?』
「……いや」
この男の口車に乗せられるのは危険だ。明らかにこれはネットと脳内OSを利用した『攻撃』。それを逆手にとってこの男は自分を利用しようとしている。それはわかっていたが、静はその口車がどこまで建前でどこまでが利便性に乗じた発言なのか判断できない。
『では教えて差し上げましょう。現在この国は「主権国家存続」の危機に瀕しております。諸外国はこの国を大戦の前のように「建前主権国家」として、「都合のいい消費者」としておこうとしています』
「…………」
『大戦に敗退した雑魚のくせにして生意気だとは思いませんか? 第三次世界大戦を起こした愚かな国家ども……アメリカやEUの連合どもの為に我々がわざわざ終結させたのに、なぜその国家どもに食い物にされなければいけないのか。必死になって、這い蹲って国家を復帰させるのは面倒なんだそうですよ、あちらの国の方々は。ダメですよね、そんな事』
中神は腕を組み、大仰に首を振った。その言葉に、静は何もいえない。
『そこで我々は考えます。だったら、大戦の前の失敗は繰り返さない。他国が口出しをしてくるような、そんな馬鹿な隙は与えないでおこうと』
「そうは思いませんか?」
静はハッとして後ろを振り返った。そこには音も立てずに背後についている中神がいた。一瞬手が腰に隠した銃に伸びそうになるが、かろうじてそれを止める。
中神も腰に手を回していた。
「……何が言いたいのかわからない」
「ならば教えてあげましょう」
静の呟きを予想していたかのように、中神は間髪いれずに呟く。
「国内テロなどもってのほかです。他国はこう言うでしょう。『日本は戦後力をもてあまし、その力を狙って国内が分離している』と……事件に関して静さんはどのように聞いていますか? 会長の扱いは?」
静は腰に回した手を動かす。しかしその動きと同時に中神の手も動く。
内心舌打ちしながら静は口を開いた。
「総理は会長の逮捕を最優先事項としていた」
中神は「なるほど」とにこやかに笑うと、そのまま静に背を向けた。
「WMCの皆さんにはこの事件について今後に言外することを禁じ、そして事件の首謀者である会長を政府関係者に気づかれることなく殺害することを要求します。これはあくまでも要求です。私達があなた達へ『お願い』をしているだけです。もし、もしあなた達が我々の考えに同調してくださるのなら、きっとそのお願いも聞き入れてもらえると思ってはおりますが」
中神はそのまま歩き出す。角を曲がり、姿が見えなくなると通信回線が再び開く
『そしてこの国は再び主権国家としての面目を保つ。……ま、ギリギリですがね』
視界の端の中神は、それでは、と手を上げると、視界から消えうせた。通信を切られたのだ。
「…………」
あとに残されたのは、一人の人間と、静寂だけだ。
静はふぅ、とため息をついた。助かった。もし、相手が純粋な力勝負を仕掛けていた場合、静に生き残る手段は無かった。静は戦闘要員ではないからだ。情報戦、それが静の得意とするスタンスなのだ。
「……この事件は、どうなってるんだ」
そう呟くと、静はディスプレイを覗き込んだ。その上に、額から落ちた汗のしずくが当たった。
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