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進入経路というのはTシャツに袖があるのと同じくらい、どんな所にも在るのだとSAT隊長、中神は経験上知っていた。
だから自分の放った斥候……SATの隊員が『突入隊アルファチームより入電。ヘリ上空より進入可能箇所発見』との通信が入ることは彼の中では当然予想通りだったわけだ。
「……了解。待機せよ」
『了解』との声を聞かず、野次馬の騒ぎを背に、彼は一度特殊警察車両に乗り込んだ。紺色のバンだ。
中は相変わらずディスプレイの薄緑色の光に包まれていた。自分と同じ特殊部隊装備をした隊員も数名、側面のディスプレイ前や、中央のスーパーコンピューター制御コンソールの前に座っている。しかし中神はそれには興味を示さなかった。
中神は側面に配置された大型ディスプレイを見る。そこにはビルを骨格のみにして、内部構造をわかりやすく示した緑色の3D映像が浮かんでいた。
「……ここか」
中神が指を指したビルの屋上には、紅点が付いていた。点滅するそれを見つめると
「アップにしろ」
「はい」
指示を出した。出された隊員はディスプレイの前にあるコンソールを叩く。
映像は小さく甲高い電子音と共に、屋上の紅点を拡大して映し出す。……どうやら屋上から全部屋の通じる通風孔らしい。
中神は僅かに頷く。肩に取り付けてあった無線機を口元に近づけると、スイッチを入れた。
「アルファチーム、内部の情報が知りたい。四名選出しろ」
無線は少しだけ沈黙し
『……了解』
僅かにうわずった声の隊員の声で応えた。その声の調子で、中神はため息をつきたくなる。代わりに頭をかき、少しだけうなる。
(……やはり陸自の第一空挺師団を呼ぶべきなんだがな)
もともとSATは治安維持部隊ではない。特殊急襲部隊だ。確かに装備も充実してきたし、隊員の質もかなりよくなっているが、それでもやはり、テロ部隊……しかも国家支援タイプの敵と比べると明らかに火力不足だ。隊員達の不安もわかる。
(だが、上の背広組みはそうは考えていないらしいな)
この間部隊に新型アサルトライフルが配備されただけで、メディアと共に上層部は湧いていた。それだけで何をしろというのかが全く読めないが、「これでテロリズムに対抗できる」と断言した上層部には怒りや憤りを通り越した呆れしか残らない。戦闘のことなど彼らには頭に入っていないのだ。CQBをする場合や遠距離射撃のことをもっと考えて欲しい。
『アルファチームより入電。選員終了しました。降下準備完了です』
「了解」
しかしやはり現時点での問題はそれではなく。何の命令も下らないことにある。これではただ単に集められて待機、その間に人質死亡、という最悪の結果になりかねないのだ。
少なくとも、中神は『単独でもいい、人質を優先する』という思考にもと基づいて行動する気だった。実際それは隊の存続理由としては間違いではないし、テロ部隊と戦ってSATの力を市民に見せつけようとするよりは数倍マシな判断だった。
「降下を開始しろ」
そしてそのマシな判断は、やはり所詮、『マシ』な判断でしかなかった。
世界には、どうしようもない程強大で、逃れられないものがある。
金属の板を思いっきり連続して叩くような轟音がヘリの中では奏でられていた。
その中で待機していたSATの部隊長、山岸は、開け放たれたヘリのスライドドアからロープを蹴り落とした。しゅるしゅるという音共にビルの屋上に落ちていくロープを確認すると、ハンドシグナルで『降下』を表した。
隊員達はロープを掴んで地面へと次々と降下していく。数十メートルの距離を一気に降下すると、その姿は屋上から内部へと続く通風孔へと素早く移動した。
ヘリは最後に山岸が降下するのを確認すると、上空から離脱した。
山岸は通風孔へ走り寄る。隊員たちは腰から取り出した金具を強引に通風孔の格子に差し込んだ
『通風孔、開きます』
ガキリ、という音と共に格子がはずされ、闇が支配する狭い空間が現れた。暗視装置を装着し、内部へ侵入する。
映像配信は上手くいっている。
しかし
「……いない?」
中神の視線の先、ディスプレイには斥候として中に潜入している隊員の視覚映像が映し出されていた。今隊員達は通風孔から脱して最上階の廊下に降り立っている。視覚映像は左右に揺らされるが、その映像の中に隊員以外の人間と思しき姿は確認できない。
『はい。ポジションAからFラインにかけて捜索を行いましたが、犯人グループと思われる姿も生命反応も見受けられません』
中神の視覚には隊長である山岸の顔映像が表示されている。その表情は困惑の極地に至っていた。
『上空からであるから感知できなかったと判断し、降下後に直接接続して感知捜査を行いましたが、やはり生命反応を感知することはできませんでした。ここからだと……だいたい十七階までは感知を行えるはずなんですが……』
作戦バンの中で、中神はうなる。
「八時間前に人質の生命反応があったのは二十四階……十分に稼動領域か」
『どうしますか。階下まで降りて感知を行いますか』
「いや、いい。ただ、人質が死亡している可能性もある。遺体が無いかの確認をしてくれ」
『……了解』
山岸は頷くと、ハンドシグナルで仲間に移動を教える。仲間も頷くと、ディスプレイの視覚映像が動き出した。
廊下を走り、角に達したら止まり、銃を構えて飛び出す。仲間がさらに援護に回り、誰もいないこと確認すると移動する。
「そのまま八時間前には反応があった場所まで確認しろ」
『了解』
先ほどの動きを何度も繰り返し、隊員達は少しずつ、少しずつ人質の生命反応があった場所へ向かって進む。
と、ディスプレイを睨む中神の眉が寄せられた。目を細める。
「山岸、待て。二時方向に何か影がある」
『え?』
視覚映像がぶれる。通り過ぎようとした廊下に再度振り返る。山岸は目を凝らしているようだ。
映像には、しっかりとなにか塊のようなものが映し出されていた。
『……人だとは思えません。ゴミか、なにかの設置部品だと思われます。確認しますか?』
「かまわん。確認しろ」
了解、と山岸はその影へ向かう。比較的今まで進んできた道よりも影の多い通路だ。確認しながら進むので移動が難しい。山岸が移動を拒んだのもそれが理由だろう。
だが、着実に移動を重ねた隊員達は、その影にしっかりと近づくことに成功した。
そして、呟く
「……どういうことだ」
「んだよ、これ……」
声を発っしないように意識して脳内OSを利用して通信を行っていた山岸だが、この瞬間ばかりは口を開かざるを得なかった。
『……山岸、遺体を確認しろ』
そこにあったのはアサルトライフルを握り締め、緑色の迷彩服をし、目元だけを露出するマスクをつけた
下半身の無い男だった。
「……りょ、了解」
思わずうわずる声に自ら恐怖を感じ、山岸はその遺体へとむける手を一瞬止めさせてしまう。だが、それを凌駕して義務感が先に立つ。
(く、クソ……)
山岸は他の隊員たちが驚愕と恐怖で表情を強張らせる中、何かが腐るような強烈な異臭を放つその死体に手を掛けた。引っ張る。
ごろり、と死体は寝返りをうった。
「ぐ……」
まず目に入ったのは男の目だった。いや、目ではない。目が合ったと思われる空間、くぼみだ。目玉が抉り取られていた。そして顔中に、まるで赤い水を頭からかぶったかのように血を浴びていた。恐怖にぶれる視線を下に動かす。ちょうどみぞおちにあたる部分から下が無く、まるで引きちぎられるように皮膚を引き伸ばしながら、腸とおぼしき管のようなものを露呈していた。当然、その腸もボロ雑巾のように糸をたらしている。
「……死んでいます。脈も無ありません、確実に死亡しています」
しゃがんで死体を掴んだまま、山岸は通信を入れた。
『どうなってる……犯人グループの一人……に見えるが』
視界の端の中神は、その中年らしくしわのある額にさらにしわを寄せながら、目を凝らしていた。山岸もそれに応える。
「自分もそう見えます」
『犯人同士で殺しあったのか?……しかしこの死に方は――』
ぴぴ、ぴぴ、ぴぴ、ぴぴ……
「――ッ!? なんだ?」
山岸はビクリとして一気に立ち上がった。銃を構えて壁に張り付く。
それに応えるように一人の隊員が声をうわずった声を上げた。
「生命反応です……! でも、なんで……!?」
「生命反応……?」
なぜ今頃? 先ほどまで全く反応しなかったのに……
そこに何か硬質的なものが床に当たる音が響いた。かつ、かつ、という、まるで革靴か何かで廊下を歩く音だ。
「なんだ……!? どこから聞こえる!?」
「わかりません! 生命反応のレーダーには何も……ただ周りにいるとしか……!」
『山岸、何があった? 山岸?』
「わかりません! 生命反応が突然上がって――」
かつ、かつ、と音は続く。その音共に山岸の心音も上がっていく。脈が激しくなり、呼吸が意識せず荒くなる。
「……君達が、『名前の無い削除人』かね?」
山岸の肩が、掴まれた。
「どうした山岸! 犯人と接触したのか!?」
視線だけ動かしていないのか、微動だにしないディスプレイの映像に中神は怒鳴った。バンの中の空気が緊張の糸で引っ張られるのを感じる。額を汗が流れる。まさか、死んだのか!?
『…………』
「山岸!!」
怒鳴る中神に、ディスプレイの前のコンソールを叩いていた男が焦った表情で振り返る。
「中隊長、こちらからの音声通信が途絶えています! 映像通信も切断されます!」
「何……!」
中神が顔を上げると、同時にディスプレイの映像がプツリと途絶えた。あとは真っ黒な画面が残るだけだ。中神は焦る。額の汗がたれるのを無視し、唯一の情報源となった脳内OSの通信ソフトの映像を確認する。しかしその映像も『No Image』とだけ表示されるだけで、山岸の顔の映像は映し出されない。
『……じょうぶです……隊長……中隊長……?』
「山岸!?」
はっとして中神は怒鳴る。確かに音声が聞こえた。コンソール前の男が「なんでだ……!?」と呟く。
「何者かが音声通信だけを復帰させてます! こちらからの通信回線は閉じられていて……向こうの一方的な通信です」
「……どういうことだ」
しかし疑念を口に出す中神を無視して山岸の一方的な声だけがバンの中に響く。
『……隊長!……一般人です……要救助者発見! 人質を……』
山岸の怒鳴り声は喜びに満ちていた。がさごそ、という服をこすらせながら移動する音が響き、きっと誰かに接触しているのだということが中神にもわかる。
声と音は、喜びに満ち満ちていた。
山岸は事態の異常さに汗がたれるのを止められない。なんだこれは。どうなっている?
『……え?』
通信の音に、何か液体のようなものが固い床面にぶちまけられる音が混じった。
『え、え?』
『え? なんで?』
『どうして? 飯田、これ飯田の目か?』
『え? 隊長? ウソだ……! どうして!?』
がたがた、という僅かばかりの暴れる音が響き。通信に叫び声が混じった。
『なんだ!? なんなんだよあれ! 逃げろ、撤退だ! 早くしろぉ!』
ブーツが硬質なコンクリートを叩く音が流れる。
『隊長!? 撃っていいんですか!? アイツ、撃っていいんですか!? どうすればいいんです!? 何で通信無いんですか!?』
直後に、銃弾の炸裂する小爆発音が連続して響き、弾がコンクリートに当たってはじける跳弾音が通信を打った。
『――ッぃぃぃぎぃぃぁぁぁあああああああああああ!!』
ぶじゅあ、という液体音。
「……音声通信、切られました」
バンの中には、静かな沈黙が横たわった。
「……面白くなりました」
センスの悪い太い黒縁メガネをかけた中年の男は、その、薄暗い部屋の中でディスプレイを見ながら呟いた。その口元は、しかし言葉とは裏腹に笑みなど少しも浮かんでいない。
「ヨーロッパ連合が利用した高原の仕業ではない、ということですか」
呼びかけではあるが、その部屋には彼以外には誰もいない。ただ、ディスプレイの放つ極端に薄い光以外は、そこには何も存在しなかった。
「とすると……山崎派か、もしくは彼らが直接手を下したのか……」
目をつむり、そして開く。そのときにはもう、電子音の中でディスプレイの光の種類は変わっている。表示されていた映像が切り替わったのだ。
「……いずれにせよ頼みますよ、『WMC』のみなさん」
映像は、何かの中継映像のようだった。動くたびに映像にラグがでるかなり質の悪い画質ではあるが、そこにははっきりと少年のような男と年老いた男が映し出されていた。彼等は全く同じ、都市迷彩らしい格好をしている。そして、握った手にはアサルトライフル。
光を反射する男のめがね越しに、彼等はビルの壁面に目をむけ、そのまま裏口らしいドアから潜入を開始した。
「名前の無い、削除者……」
ククッと今度はしっかりと、男は咽をゆらして、口元をゆがめて笑った。
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