■3
ライトアップされた灰色のビル。そこではビルジャックテロがあり、とても危険だといううことはこの町に住む誰もが知っているはずだ。
だが、この野次馬は何だ。と男は思った。
まるで何かのライブと勘違いしてるのではないのだろうか。二百人は超えるであろう人の群れ。小寒い秋の頃だ。皆温かそうな格好をして、顔には笑顔さえ溢れる。待ち行く人々はそれを表情を強張らせながら足早に通り過ぎていった。……どうやらこの街は頭の悪い祭り好きな人間と、自分の保身しか考えていない臆病者しかいないらしい。困ったものだ。
男は一人、野次馬の群れから少々離れた距離からそれを眺めていた。
男の格好は黒のロングコートに背中にはゴルフバックを背負うという、少年のような顔にも、一般常識にもあまりマッチしない姿をしている。その双眸も、まるで周りの人間とは違い、恐ろしく鋭く細められていた。まるで遠くから敵の匂いを嗅ぎ取ろうとする獣のように。
「……ね、想。ホントにいくの?」
その男の横。女性が一人。妙に背の高い、しかし少女のような表情を併せ持つ、人の波の中でも目立つ女だった。その不安げな表情だけなら少女と確定してもいい。風が吹けば、彼女の肩までの神がさらさらとゆれる。白い肌は、まるで一筋の光のように夜の闇の中では目立っていたが、それを持つ手や足は、男……想の目には不安げにもじもじと動いているように見えた。実際ハズレではないだろう。
「大丈夫。別に死にはしませんよ先輩。そんなに危険ってわけでもない」
振り返った想の目には、先ほどのような鋭さは無い。倦怠感が乗り移ったような、めんどくささが先に立つ表情をしていた。
「あーしんどい。せっかく就職したらこれかぁ。この間までの学園生活がウソみたいだ」
ふぃーと想は白い息を吐き出す。それで手を温めると、すりすりとこすり合わせる……しかし当然それで寒さが解消されるわけは無く「うわっ、サブッ」と体を抱いてぶるる、と一震えした
そんな想の手を、少女が手に取る。その目はじっと男の目を見つめている。
「……大丈夫? 私の手、あったかいかな」
「……大丈夫ですよ。なかなか温かいです。でも手が温かい人は心が冷――って!」
ごす、とわき腹に決められたフックの一撃に想はうめいた。殴った本人はむっとした表情で腰に手を当てて想を睨む。
「心配してあげてるのに、何その態度は。もっとありがたそうにしなさいよ」
「……失礼しました七瀬先輩殿。ありがたき幸せ。一生のタカラでございます」
うう、と想はうなる。
しばらくうめいた後、ブンブン頭を振って「いやいや、しっかりしろ」と想は頬を叩いた。気合を入れなおすように息を吸い、ゆっくりと吐く。白い息が夜空に上がった。空には先ほどからホバリングを繰り返してプロペラ音をうるさくがなりたてている。
それを見て、少しだけ強気だった少女……七瀬の瞳にもう一度不安が降り立った。
「……今なら帰れるよ。やっぱり行くの?」
想は「ええ」と短くこたえると、手を軽く七瀬の目の前で振った。
「だからそんなに危なくないってば。先輩心配しすぎですよ……じゃ、俺そろそろ行きますね。開始コードが通達されちゃいますよ」
「……うん。気をつけて、ね」
「俺はコイツが天職なんで……大丈夫ですって」
想は自分の手を掴んでいる七瀬の手を優しく離すと、黒コートのフードを目深に被る。素早く左右を見渡すと、早い足取りでビルに向かって歩き出した。
その後ろ姿を、七瀬は見送る。背を丸めて歩き出す想の姿は
(子供なのに……)
十七歳という年相応の姿をしていた。まるで頼りない。いつも高校で見ていた後輩の、小さな肩だった。
抱きしめればよかったかな。と七瀬は思い、代わりに自分の体を抱いた。学校ではスレンダーとか呼ばれる自分の体も、今のような恐怖……不安と言ってもいい。そういう漠然とした、自分ではどうしようもないところで事態が勝手に進む不安には何の効果も示さない。そしてそれが直接死へとつながる事に、彼女の心は冷たい何かにわし掴みにされていた。
想の姿は、野次馬の中に消えていく。
想は目深にかぶったフードとコートを抑えて、全身の肌の一切を露出しない。音も立てずに歩く。静かな風貌であると、見るものによっては言うだろう。しかし実際には静かなのではない。鋭くきらめくその双方が示す通り、想の風貌は見た目だけ静かであるだけだ。
すっすっと想は歩く。途中で酔っ払いらしい男と肩がぶつかるが、彼はそれには何の興味も示さない。ただ、歩くだけだ。
と、想の横に並列して一つの影が現れた。それは想と同じように真っ黒なコートにフードをかぶった男で、背中にはやはり、ゴルフバックをかついでいる。
男は自然な調子で歩くと、まるで想の方を見ないで口を開いた。
「いい女連れてるじゃないか。男はやっぱり、いい女と話すのが一番だ」
酷くしわがれており、聞く者に随分年老いた印象を与える声だった。事実、時折垣間見える口元はシワが深く刻まれ、それが正しい事を雄弁に語っている。
想は、やはり男の方を全く見ない。
「同じ高校だった先輩だよ……彼女でもないし。ほっとけよ」
「うむ……ガキが言うようになったな。まるで思春期の反抗みたいだ」
しわがれた声の男は、話しながら何度も他の野次馬に当たる。時にはドンと強く肩からぶつかる時も何度かあった。だが、そのどの場合も、男とぶつかった人間との間でのいさかいはなかった。ただ、ぶつかった人間の何人かが訝し気に周りを見渡したり、肩を触ったりしているだけだ。
男はそれをちらりと見渡す。
「……ロキは上手くやっているらしいな。一般人に俺達の姿は見えてない」
しわがれた、年老いた声であったが、それ以上に押し殺された、低い声色だった。
「ロキが介入してるのか?」
答えた想の声には意外さが滲んでいた。正面しか見据えていなかった目を僅かに男へと向ける。
「一枚噛んでいるようだ。静の話じゃ祭好きのロキが勝手に作戦に参加して来たと……そうだろロキ?」
男が口元を歪めながら呟く。
すると突然、想の視界の端に目付きの悪い黒猫のようなアニメーションが現れた。そいつは首をゆっくりと、観察するように回して、それからつまらなさそうに欠伸をした。……脳内OSを利用した多量情報通信だ。
想は一瞬立ち止まりそうになり、慌てて足をすすめる。
「ロキがなんでここにいるんだ……!?」
想の身も蓋も無い台詞に、しかし猫は「にゃ」と欠伸を繰り返す。ふん、鼻を鳴らすと、猫は想の視界の中で不満気に口を開いた
『お黙りよ想。あたしがあんたを情報通信攻撃から何度も助けたのを忘れたのかい? ……まったく、そうやって人込みの中を誰にも感づかれずに歩いていられるのもひとえにあたしのネットスキルのお陰だよ』
猫はつまり、単なるアニメーションではなく、誰かが操っている存在らしい。しかし猫のアニメーションは操られているとは思えない程完璧な動きをしており、口調や言葉に合わせて滑らかに身振り手振りをする。コミカルだ。
しかし想は楽しげに(かつ気だるげに)動く猫にも眉を寄せる。
「どこの誰かもわからねぇネットオタクを作戦に参加させる気が知れないぜ」
『まだ言うかね。むしろ顔すらわからないような人がお前達を助けてくれるんだ。感謝してほしいよ』
「猫だろお前は」
話しながらも二人は進む。年老いた男は人込みをかきわけ、想はスルリと人を避けて行く。
その先にあるのは、真っ黒な鉄製の警察課警備部保有、簡易防壁。人二人分ほどの高さのそれはビルを囲んでいて、野次馬達を近付かせないようにしていた。周辺にはアサルトライフルで武装した警察官がいる。
警察官達の前に来ると、二人は立ち止まる。警察官をまるで鼻を寄せるようにして見た。
警察官達は、明らかに怪しい二人の行動を目先で見ても何も言わず、警戒する身動きもしない。ただ、辺りを見渡して銃を握りなおすだけだ。
「爺、時間は」
爺と呼ばれた男、一緒に歩いて来た男は、まばたき一つせずに「七時四十二分、侵入開始」と呟く。
その瞬間、しゅっという音と共に二つの影が飛び上がった。
四メートルはあろうかという簡易防壁をのはるか上方を、まるで夜の街に舞うコウモリのように素早く、音も無く影が躍る。
ジャンプの頂点に達すると、二人は言い合わせたかのようにくるりと回転して、スタッと地面に着地した。……コンマ0秒以下の世界だ。
地面に張り付くようにしゃがんでいた二人は、すぐにゴルフバックとコートを投げ捨てて、バッと立ち上がる。その姿は一見、夜の闇の中ではただの影の一部でしかなかった。
特殊ラバースーツに都市迷彩を施した接近戦用S.O.E C.Q.B
ベストにS.O.E Spent Mg ポーチ。ポーチとベストの中にはフラッシュグレネードとスモークガスが装備されているのがポケットの膨らみでわかる。太ももにはCOLT45口径拳銃。そして握っている、とても銃とは思えない横長六角形のアサルトライフル、P90。
二人はアサルトライフルを素早く左右に回してまだ見ぬ敵の姿を探る。カチャカチャという銃の金具がゆれる小さな音が響いた。
着地したそこは、ちょうどビルの正面に当たる場所だった。辺りには武装した警察官がたむろしており、近くには警察バンも見える。ビルは警察の特殊車両によってライトアップされ、下から見上げた想達には巨大で無機質な巨人のように見えた。
『……進入開始を確認』
想達の視界の端に、ピッという機械音と共に一人の人間の姿が現れる。それはつややかな黒髪を持つ、精悍な顔をした女の顔だった。その目は切れ長で、初めて見る者には威圧的な印象を与え、真っ白で雪のように美しい滑らかな肌は、見るものに神々しいまでの尊敬の念を与える。
その顔を見ると、想は銃を構えたまま小さくため息をついた。
「……静。いい加減待ちくたびれた」
静、と呼ばれたその女は、しかし想の呼びかけには一切反応しなかった。ただ、淡々といった感じで
『ポジションαで待機』
と呟くだけだ。
想はそれに小さく舌打ちを返すと、頭を低くして歩き出した。
「…………」
一人の女がいた。
それはやはり、ビルの前の野次馬達に混じって、ビルの上方と警備をしている警察官達を眺めていた。その大きなアーモンド形の目は少しだけ怯えたように細められている。
端正な顔立ちの女だが、しかし格好は黒コートを羽織って全体的に無骨な印象を受ける。もっているのは『やはり』ゴルフバック。
そーと彼女は足を出す。少しずつ、ゆっくりと、恐々といった感じに。しかしあまりにも勢いが無いために他の野次馬から押し出される。
「あう……」
ふらふらと足取り危なく女は倒れた。衝撃で頭を覆っていたフードがぱさりと外れる。そこには鮮やかな赤いショートカットの髪がぱさぱさとした感じに広がった。
「うわっ」と女は慌ててそれを隠そうとフードをかぶって首をすくめるが、しかしそれは周りの野次馬達の視線から身を隠すには少々遅すぎた。
「あれ? こんな子いたっけ」
と一人の若い男が女の横にしゃがむ。その顔を覗き込み、「うわっかわいいね」と状況に合わない的外れな感想を口にした。
女はそれにビクリと体を震わせる。しかし男はそんなことには構うことなく顔を覗き込む。。
「ずっとここにいるのも飽きたんだよなぁ……警察も何もしないし、ねえ、どっか遊びにいかない?」
女は男のその満面の笑みを見ると、怯えの色を濃くしてさらに体を小さくした。フードをしゃにむに押さえつけて、顔と赤い髪を隠す。ビクビクと奮え、小さな声で「いや……私、そういのじゃないから……」と呟くが、周りの喧騒でその声は全く相手に伝わらない。
「え? 何? ていうかさ、顔もっと見せてよ……ねぇ!」
男は少し強めに女のフードをどかそうと手を出した。周りに人間達も「なんだ?」とは言うものの、ただのナンパか何かと思って何もしない。
女はさらに激しく抵抗する。「うぅ」と小さなうめき声すら上げて逃げようとするが、男の力には逆らえず、何度も顔を露呈してしまう。
「ねぇってば……なぁ!」
「う……ぁ……」
そこに、カチャリ、という金属音が静かに響いた。
その音に野次馬達の一人が顔を上げた。最初に気がついたその男は、人を掻き分けて現れた人影をただの武装警察官だと思い目をそらそうとした。しかし、その影のシルエットが若干おかしいことに気がついて再度目を上げると、野次馬の男は「うわぁっ」とその場から数センチも飛び上がった。その声に、他の野次馬達も警察官らしき影をみる。そして、固まった。
確かに彼は警察官の格好をしていた。目元しか露出しない完全防備の耐弾服とヘルメット、肩には銃を背負い、その手には、なぜか抜き身の拳銃が握られていた。
銃口は、正確に若い男へと向いている。
「……警視庁警備部の者です」
銃を構えた武装警察官は、フルヘルメットの下でくぐもった声をだした。
「彼女を離し、今すぐこの場から立ち去ってください。他の方々も同じです。ここは現在、JASP警備課より第一級危険地帯に指定されています。今この場で騒ぎを起こした場合、テロリストの一味とみなし、拳銃の適正使用もやむを得ません」
長々とした口上を垂れた男の前で、振り返った若い男は一瞬眉を寄せて、しかし拳銃を見て「ちょ……なんだよ……!」と焦った顔で呟いて、すぐに駆け足で他の野次馬達と別の場所へと移動していった。
その後姿を見送った後、拳銃を握った男はふうっと息を吐いた。心底、と言った感じのため息だ。
「あ……ぅ……あ、ありがと……う」
女はたどたどしい口調で頭を下げた。といっても下げた頭はやはりフードに覆われているのだが。
男はそんな他人行儀な行動をする女をいぶかしげに見た後、さらにもう一度ため息をついた。肩をすくめる。
「……僕だよ優。山田良治。気がつかないの?」
「う……ぇ……? 良治……?」
かなりげんなりとした様子で銃をしまう男……良治に、怯えていたいた優と呼ばれた女は間の抜けた顔で対応した。え? え? と呟きながら、フルヘルメットをはずした良治の顔を覗き込む。
そこには見慣れた、眼の細い柔和な顔をした男の顔があった。笑っているときも怒っているときもあまりかわらないその顔は、今は恐らく困惑の表情を浮かべているのだろう。やっぱり目つきは変わらないけど。
優は若干困ったように下を俯いたが、しばらく後に「ごめんなさい」と呟いてペコリと頭を下げた。良治は目を細めるだけだ。
そこに「すみません」と声がかかった。良治が振り返ると、警備をしていた武装警察官がいぶかしげな顔をして立っていた。
「申し訳ありませんが、配属部を教えてもらえますか? ここは警察課四機が担当しているのですが……」
「あぁ」と良治は胸ポケットから警察手帳を取り出す。そこには顔写真と共に『警備課』のマーキングがあった。
「自分は都庁防備課二機の山田巡査長です。先ほど周辺警備は警察課からすべて警備課に担当変更となったのでこちらに」
警察官は顔に疑問符を浮かべた。
「え……そうなんですか? 警察課には何の連絡も……」
「だいぶ上層部も混乱してるから、合同作戦の命令系統ずたぼろでね。なんなら直接OSをつかって本部と連絡をするといい」
武装警察官はうなずくと、額に手をやって脳内OSを利用して本部と連絡を取り始めた。
良治はヘルメットを深くかぶる。倒れこんでいる優の肩を抱いて立ち上がらせると、その上からフードをかぶせた。優は「うわ……」と呟きながらもやられるがままフードを深くかぶらされる。
良治はポソリと呟いた。
「……ロキ。頼む」
その言葉の後も、別段周辺に大きな変化があったわけではない。ただ、連絡をとる警察官と奇妙な女性とその肩を抱く男がいるだけだ。
数分後、連絡を取り付けた警察官は、「そんな命令出るわけ無いだろ馬鹿!」との返答に困惑し、首をかしげた。
「あの巡査長、本部はそんな命令なんて出してないと……あれ?」
警察官は辺りを見渡す。しかしそこにはだれもいない。かなり見通しのいい場所であるのにもかかわらずどこにもその姿は無かった。
「あれ……? どうなってるんだ……」
「……優、いくよ」
だが、現実には彼等はいた。彼等は困惑する警察官の目の前で突っ立っているのにもかかわらず、全く気がつかれてはいない。警察官には、彼らの姿が見えなくなっているのだ。
『必要なのは感覚だよお二人さん』
視界の端の真っ黒な猫は、それを目つきの悪いまま横暴な態度で説明した。
『お前達WMCのメンバー全員の脳内OSに干渉させてもらってお前達の概念そのものを変革した。人間の目が見るべきものを選択しているのを知っているだろう?』
猫の目がニョキ、と大きくなる。
『私達が見ているものは脳内で『見る』か『見ない』かを判別している。もし空気が見えたら私達は困ってしまうだろう? だから見えない。それと同じだ。お前達の存在そのものを『目に映す価値のないもの』としたんだ』
「だが」と猫はため息をつきながら首を振った。
『君達の行動や格好が人間にとって『目に写す価値のあるもの』になってしまったらそれも効果を無くす。相手の言葉に返事をしたり、危害を加えようと動くと効果はなくなってしまう。だから優』
「お前は髪が赤いし、目立つから絶対に余計なことをするなって、ロキ言ってなかったか? 潜入部隊としての誇りは無いのかお前達は」
「でも柴田さん、突発的なことだったんですよ?」
と柴田……想に爺と呼ばれた男だ……に説教を受けながら優と良治はコートと警察用特殊防弾服を脱いだ。その下には、想達と同じようにラバースーツを着込んでいる。
場所は玄関からちょうど逆側に当たる位置、薄暗い裏口にいる。当然そこにも警備の警察官がいるが、それも四人の不審な人間達には興味を示さない。見えていないのだ。
「そういう問題じゃないんだよ……怪我をしてからじゃ遅いぞ」
「わかってますよ。だからすぐにカバーに入ったでしょ? ……はい想さん、大盾」
「サンキュ」と想は良治のもっていた強化プラスチック製の透明の大盾を受け取った。しかし一瞬キョトンとして、それを見つめる。
「……こいつ使うのか? 大盾なんか持ってたら突入できないぞ」
「とりあえず持っていく。潜入しなきゃならんときはその場に捨てろ」
もったいないなと想は盾を振った。防弾効果もある盾は、警察のものとは違って『JASP−POLICE』のロゴが無い。
彼等は警察ではないのだ。
「……私達はなにをすればいいんですか?」
体にぴっちりと張り付くラバースーツを意味も無く引っ張りながら、優は俯いていた。柴田は爺くさいうなり声と一緒に適当な庭石に座り込む。
「それを今、静が官邸で話し合ってる」
「爺、こんなトコまで来て何もせずに帰ったら、俺達笑いもんだぜ」
「僕はそれでいいですよ。死ぬくらいなら、笑いものになったほうがいい」
「……バァカ。俺たちが体張らなきゃ、他の誰かが死ぬんだよ」
凛と冷えた空気を吸うと、想はぶるる、と一度体を震えさせた。
「……想さんは学校やめたんでしたっけ?」
山田が露骨に空気を変えるための質問をした。想はちらりと山田を見、小さくため息をつきながらうなずく。
「この間な。ま、高校に通っててもSATの作戦には参加してたし、どっちかというと高校はそのおまけみたいなものだったしな」
「世も末ですかね。高校生にまで治安維持活動させるなんて」
柴田は「いや」と言葉を載せた。
「噂じゃ公安なんて十四の子供まで使ってるって話だ。JASPは使えるものはどんどん使っていく気なんだろ。それはそれで、悪い風潮とは言い切れん……想は、今年でいくつだ?」
柴田の父親のような質問に、想はなんて間が抜けているのだと思う。呆れた表情を作る。
「爺……俺は今年で十七だ。しっかりしてくれよ。六十でボケが入ったか?」
「あと五年で年金ももらえる年だ。ボケたっておかしくはない」
「あ、僕来週誕生日なんで。今年で二十です」
「山田にゃ聞いてねえよ……」
周囲の緊迫した空気と対照的に、彼らの間に流れる空気はあまりにものんびりとしていた。まるで日常と変わりない。
一方現場の警察官はアサルトライフル片手に走り回り、指揮系統も情報も乱れ、混乱の極みだ。
「……本部は現場報告を待ってるぞ……全隊指揮官は今誰なんだ……!?」「……関東JASP警備課より伝達、周囲三キロ以内の市民の強制避難開始」
「……まさかビルが爆発するのか!?」「俺たちは置いてけぼりかよ……!」「冗談だろ……!? 機動隊がそんなことに対応できるかよ!」
「本部より装備変換命令です!」「……なんだよこれ……耐爆仕様じゃないか!?」「おいッ! 耐爆仕様変更命令!」「隊長! どうやって変更するんです!? 現場を離れられない隊員が大勢いるんですよ!?」
「周辺警備! ビルからのガラス落下に注意せよ!」「――バカッ! 余計な事言って不安を与えるんじゃない!」「慌てる頃に言ったって遅いんだよ!」「士気を下げたら作戦がお釈迦になるっつってんだ!」「作戦ってなんだよ!? そんなものどこにあるんだ!?」
「ビルが爆発するまで俺たちをここに置く気か!?」「……本部! 現場に情報を回してくださいッ! 本部!」
簡易防壁の中ではこんな惨状が起きているとは外の野次馬も思ってはいないだろう。知っていれば、あんなにも楽しそうな顔はできないに違いない。
「……爆破テロか。状況的にはありそうな感じではなるな」
「……そうなったら私達」
ぎゅっと優は視線を地面に向けたま、膝を抱えた。
「――死にますね」
一瞬だけ沈黙が流れた。
「……静はどうしてるって?」
「相変わらず連絡なしです」
想は「そうか」と呟きながら拳銃をいじった。マガジンを抜き、中に銃弾が詰まっているのを確認するともう一度叩き入れる。
「……問題は救急車も呼べないってことだ。一発撃たれるだけでも致死率は普通の警察官の数倍は上がる。おれ達は助けは呼べないからな」
柴田がフンと鼻を鳴らす。
「随分弱気じゃないか」
「……そういう問題じゃないでしょう。死ぬんですよ。私達」
「そうと決まったわけじゃない」
「生きて帰ってこれると決まってるわけでもないでしょう」
柴田が優を見ると、いつの間にか彼女はじっと自分を見つめていた。大きな、意志の強そうな目だ。実際には彼女はとても弱弱しい存在だが、今は『死』を背景に意志すら強くしてしまっているのだろう。
柴田が優に、何か声をかけようと口を開いた。
『全員いるか? 今から任務に関係する映像を流す。情報が少しはあるかもしれない。しっかり見ろ』
と、突然、沈黙の流れかけた全員の視界の端に、女が現れた。妙に肌の白い、長髪の女。……民間傭兵部隊『WMC』の隊長、静だ。
「やっと隊長殿の登場だぞ」
そう言った想をチラリと静は見たが、それだけで別段言い返したり、反応したりはしない。ただ淡々と口を開く。
『政府からの新しい任務要求がきた。これから流す映像は、占拠した犯人達の要求を示したものだ。中央にいる人物がこの事件の首謀者……再生するぞ』
「……せっかちな女だ」
ぼそりと柴田も呟いたが、それも静は無視した。
静の映像が、かちりと切り替わった。メディアブラウザが起動する。
映像は暗い部屋の中で一人の男が番組用の特設ディスクのうえで両ひじを付いてれウォくんでいる映像から始っていた。
『……我々は真実を知っている』
小太りの中年男だ。目つきだけが鋭く、まるで鋭い刃物のようにカメラに突き刺さっている。動きが随分大げさながらもそれに不自然さを感じさせない。
『政府による国民へのブラフ、世界情勢の『ウソのODA報道』、大戦に消えた『無名の戦士達』 そして、私に対する『あるはずの無い不祥事』……我々は義勇軍だ。民衆のために立ち上がった『本物の真実』と『正義』の兵。もうこの放送局にいるほとんどの者は我々の理解者となった。残ったものは『自分勝手な真実』を信じ続ける『真実』を直視しない腐った反乱分子だけだ。もうこの国営放送局はそれではない』
そこまで一気に言って、しばらく息を継ぐために黙り込む。顔を下げた。
そしてスっ……と息を吸うと、顔を上げる。
目が真剣みを帯び、アゴを軽くひいて深く重みのある声で叫んだ。
『我々は、真実の探求者』
映像はそこで切れた。音もなく止まった映像に切り替わって、静がむすっとした表情で現れる。
想はあくびをかみ殺した。表情をなんともいえない顔にする。
「正義……か」
「頭がえらくよさそうな連中だ。動機が単純で。宗教関連も含めたアナアキストか? それとも大きな存在に帰属する恐怖を陰謀に移し変えた矮小な小市民か」
「いいや」
柴山のその嘲笑とも取れる言葉に静が口を挟む
「もっと厄介な存在だ。彼らは彼ら自身が政府によって利用されたことを知っている。特に映像に出た首領と思われる男、彼は国営放送局会長の『刈谷 仁』会長だ。最近の国営放送局不祥事事件のほとんどは国民の反政感情を横流しするための演出であったと首相本人から直々にお言葉をもらった」
「おぉ、そりゃいい」
柴山は銃を揺らして笑う。
「本物の革命者だ。成功することを祈るよ」
視界の端の静はそんな冗談にもため息をつかなかった。少し黙る。
『……今作戦の目標を伝える』
映像の静の顔がズームに切り替わった。視界の端におまけのようについていた映像が一気にアップになる。
『首謀者刈谷仁を国家脅威とみなし、これを火器の適正使用をもって鎮圧せよ』
静かな言葉に、俯いていた優がハッとして顔を上げる。その顔は明らかに強張っていて、唖然と開いた口は、やはり、震えた声を上げた。
「……なんで? 殺すの?」
『そうだ』
静は事実をただ淡々と語る。その表情はやはり、どこか無機質で無感情だ。
柴田が目を細める。
「……どうしてだ。殺す必要はないはずだ」
『決定事項だ』
静は全くそれに動じない。
『私が決めたことではない』
おいおい、と想が若干引きつった笑みを浮かべる。
「殺しにいくってことは、俺達が殺されたっておかしくないってことだぞ?」
『戦闘はやむをえない。極力これを避け、任務を遂行しろ』
「無茶言うんじゃねえよ! たった四人で何ができるって言うんだ!?」
『任務を遂行しろ、想』
かぶせた静の声は、それ以上の口論には応じないという、そういう合図だった。
『……これより一時間半後に作戦を説明し、その後作戦展開する。家族に連絡をつけたい者、遺言を残す者はその間に準備しろ。以上だ』
「静」
震える、泣きそうな声で呟いたのは、優だった。膝を抱えたまま、ぶるぶると震える。
「私達、死ぬね」
小さな声だった。
それに『君達次第だ』という声がかぶさったとき、優の口はもう、小さな声も発しなくなっていた。
ただ、口が僅かに、動くのみ。
――生きたい、死にたくない生きたい死にたくない生きたい死にたくない生きたい死にたくない生きたい死にたくない生きたい――
その夜、天気予報は東京の寒さが今年で一番の寒さであることを伝えた。それも心臓をわしづかみにするような、そんな寒さなのだと、現場で実況するアナウンサーは笑って言った。
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