■1
ただ身を隠す為に入った民家は狭く、木の床と白い壁は、入らない日差しのせいで暗い。あわせて必要最低限の家具しか置いていないそこは、静寂も含めて酷く閑散としていた。
そこで俺は身を縮こませ、窓から身が見えないようにすると、腰から鉄製の水筒を取り出して、それを口に運んだ。
ゆっくりと傾け、喉を鳴らす。不精髭を伝う水を無視して。
「…………」
ふぅ、と息を吐き出して、俺はようやく落ちついた。背を壁にもたれかけ、頭のヘルメットをその壁にぶつける。コツン、という金属音がして、頭の芯にその軽い衝撃が走った。
それで俺は、まだ自分が生きていることに、やっと気がついた。
「……ああ、クソ……」
顔についた泥や、すすを手で拭い去ると、俺は頭を振り、もう一度ため息をついた。なんだ。……俺、生きてたのか。
俺は痛む頭をゆっくりとさすった。顔についた泥とすすを両手で擦り取る。
荒くなった息を戻そうと、体を預けたまま休めた。上がっていた心臓が、やっといつもの歩みに戻ってくれそうだ。
助かったんだ、と俺はもう一度、かみ締めるように思う。何の気なしにぼんやりと天井を見ると、赤茶けたコンクリの天井が目についた。
「…………?」
染みは狭い部屋の端から放射状に広がっていて、それはなぜか人の顔に見える。髭の生えた、中年の男。
染み男はぼんやりと見つめる俺に、いきなり動き出し、微笑んだ。
「どうして殺したんだ?」
幻覚だった。間違いない。
この手の幻覚は腐るほど見てきた。きっと、頭がイカれてくるって言うのはこういうことを指すのだろう。
精神的なものでも、まして物理的なことでもない。何の気なしに、ふと、頭の片隅にイカれる予兆が現れて、そのまま自分が気がつくことなく、精神が蝕まれていく。
俺が何も言わないでいると、染みの顔は変化し、ぐにゃぐにゃと形を変え……そして指の形になった。その指先は、部屋の中央、血だまりを指す。
「戦場でうろつくからだ」
俺は答えた。
「だから殺したのかい?」
染みは髯面の男の形に戻り、また微笑んだ。
俺は目を細める。
「……俺は英雄だ」
男は、微笑んだまま。黙りこくって俺を見つめていた。
……わからないのか。
俺はイラついて、また目を細めた。
「殺した奴が英雄で、ここじゃ英雄だけが生き残る」
俺は床に置いてあった『ライフル』を手に取った。いや、ライフルだけじゃない。さっきまで背負っていた馬鹿でかく、重いバックパック。それに引っ掛けてある敵兵からむしり取った手榴弾。ヘルメット、T3爆弾。それらすべてを、カーキ色の戦闘服を着た自分の肩に背負った。
そうだ。俺は、『兵士』で、『国を守る戦士』で、『英雄』だ。
ライフルのマガジンを取り替えると、俺は……固まったままいつの間にかニヤニヤ笑いになっている……染み男を見た。
「俺達は英雄になる、ならないと、死ぬんだ。」
ライフルを天井に向けた。銃尻を肩に当て、脇を締めて引き金に指をかける。
その途端、髯面の男の顔が、突然歪んだ。 恐怖ではない。ドス黒い怒り、憎悪に顔を苦渋へと歪ませていた。この世のどんな醜悪なものより、それは醜く、酷く汚かった。
そして、口が大きく開き、空気を鋭く揺さぶる。
「お前は、自分が生きるために彼女を殺したのか……!!」
男の顔の脇にあの指が現れた。それは同じように、血だまりを指差す。
血だまりの中心には、白いドレスを着た女が、ブロンドの髪を黒ずんだ血に染め上げていた。女の首は、骨が見えるほどえぐられている。……そこからは信じられないほどの血が噴出していた。顔は床に押し付けられて見えなかったが、さっき倒れる瞬間に俺が見たときには、酷く捻じ曲げられたような苦悶の表情で、無機質な目をしていた。
俺はその死体……『俺が殺した』一般人から目をそらし、ライフルの引き金に掛けた指に力をこめた。
幻覚だ
「……俺は、死にたくないんだ……!!」
幻覚だ……!!
火薬の炸裂する、発砲音が当たりに響いた。
この世に夢の世界があるなら見てみたいと思う。この世界にそんなに綺麗で汚れない場所があるのなら、それは『俺達にこそ』見る権利がある。
そうだろう? そうでもなければ、何で俺達はこんなところで『死』と向き合わなくちゃいけないのか。どうして、同じ人間が、こんなところで死ぬ人間と、のうのうと故郷で生きる奴等でわけられなきゃいけないんだ。
俺達に、希望も夢も、何もない。
遠くで、ターンという、間の抜けた炸裂音がした。
「大尉ッ どこです!? 大尉!!」
声は民家の外から聞こえていた。俺は息を吐き出すと、ブロンドの髪の女と、穴の開いた『ただの』天井に背を向けた。
なぜかはわからないが、両手が震えていた。
乱立する建物が、そこには無数にあった。この国独特の紋様と材質、土色のレンガで作られた道や、噴水のある建物群は、川を渡す橋をはさんで北と南に分かれている。
俺がそこについたとき、仲間は南に乱立する民家の一つと、民家を囲むの塀に隠れていた。
故郷の街と比べると、随分古い町並み。コンクリートの建物も、その土色の壁と、主に赤で締められる独特な色彩の屋根のおかげで、古風な世界を作り出していた。
そこは言葉で表すのなら『廃墟』であり。
そこは俺達にいわせるのなら『戦場』だった。
重い重低音が激しく響き、仲間が身を出す窓や、ドア、そして塀のレンガが砕けて舞い上がる。
「うがぁッ!?」
一人の仲間が、塀のレンガの僅かな隙間を飛び越えてきた弾丸に、体を貫かれた。隣にいた兵士が慌てて彼の首根っこを引っつかんだ。そのまま銃弾の嵐の中を、頭を下げて引きずる。
「クリスが! ネルソン! クリスがやられたッ」
と、今度は『カンッ』、という金属音が小さく響いた。すぐに引きずっていた彼自身が、力なくぱたりと倒れる倒れる。
「ドクッ」
ドアに隠れて反撃していた兵士が、ホフク前進で彼の元へ向かった。
「 ああ、クソ……ヘルメット貫通してやがる」
まるで冗談のような光景だった。
機銃の轟音の中で、人の体が面白いように倒れる。レンガですら、弾丸を止めることはできない。
その音がやむと、反撃する仲間の、シングルボルトアクションの間抜けな発砲音が俺の耳に飛び込んだ。……きっと適当に撃っているのだろう。けん制で撃っているにすぎない。
俺が彼らを視界の左端に入れ……つまり俺は彼らの右側にいたわけだが……少しだけ頭を出すと、川の向こうの、高い集合住宅の窓から機銃が顔を出していた。そこで閃光が走ると、バガッという音が連続して響き、そのたびに空気を切り裂く甲高い音が通りを駆け抜け、仲間達の周りに鈍く光る弾丸が着弾する。
ふと、窓からオートのライフルを撃っていた若い男と、距離をはさんで隠れている俺の目が合った。
「大尉、どこに行ってたんですか!?」
直後に大声で怒鳴るが、その脇をまた銃弾が空気を裂き、彼はすぐに民家の中に引っ込むこととなる。
俺は彼らから二百メートルほど遠く離れた、花壇を囲む、小さなレンガの壁にしゃがんだ。機銃と壁をはさんで対極になる。背後の壁の向こうには、仲間を撃ちまくっていた設置型機銃があるはずだ。
俺は脇を締めて、ライフルをかかえた。目を閉じる。真っ黒な闇は、俺を銃声以外何も聞こえない暗い静寂と、緊張の渦へと落としこませる。
背後から轟音がしばらく続いた。
「あぁぁぁぁッ! やられた! 腹だ……腹をやられたぁぁ!! 死にたくない……! 誰か助けてくれぇぇぇぇぇ!!」
「ロジャーズッ、コイツの止血するんだ、早く!」
「ドク、助けてくれ! 指が……俺の指が! どこにいったんだ! 俺の指、俺の指を探してくれぇぇ!」
「ドクは死んだよ……! だれかモルヒネをくれ! ほら、お前の指だぞ……」
耳にやけに響く仲間の悲鳴が聞こえたが、俺はそれには意識を貸さなかった。
しばらくすると、ピタリと音が止んだ。
その瞬間を見計らって、レンガの壁から飛び出すと、緑色の迷彩服を着た敵と、奴らの撃つ機銃が見える場所へ滑り込んだ。奴らはまだ同じ集団住宅の一角にいた。窓にいるのが見える。
そこで身をさらして伏せたまま、ライフルのスコープを覗く。
シンプルにクロスした黒い十字架型の照準。そしてその先には集合住宅。倍率を最低まで下げて全体をみると、敵の機銃の位置はすぐにスコープの視界に入った。横に並んだ窓の一つから機銃を突き出して、弾を補充している。
「……よし」
俺は倍率を上げた。素早く、しかし正確に。……少しのズレが敵を視界から逃がしてしまう。そうなったら、また探している途中に撃たれることになる。慎重に。素早く、目を動かせ、敵より早く、撃たれるぞ、早く……早く……!!
焦りで汗が指から噴出して、どうしても震えるのを抑えられない。。倍率をあげるスコープのボルトアクションが、酷くのろく感じた。
その時、ターンという間抜けな音がした。いや、間抜けなのは音だけだ。その音と共に飛び出した弾丸は、俺の右肩をかすめて地面に着弾。細やかな粒子を持つ砂を、派手に巻き上げた。
「うッツあ……! なんだよ!! クソッ」
スコープから目を離すと、集合住宅の下から同じようなスナイパーライフルを持った敵が見えた。橋の欄干とヘルメットの間から俺を見つめている。もちろん、ライフルを持って。……この距離なら遠すぎて肉眼でははっきりと確認できない。目を凝らさなければ、ただの点だ。
「クソッ!」
俺は必死に照準を下へ下げた。酷く、のろく感じる。
「――ッ、……!! ……!!」
機銃を撃っていた敵が、なにかしらを叫びながら俺を指差していた。
「(気づかれた……!!)」
俺はぎりっと歯軋りをした。悔しさなんていう陳腐でのんびりした感傷じゃない。そうでもしなきゃ、恐怖で歯がカタカタと震えて、しょうがなかった。
体の各部が『そこには踏み入れてはいけなかった』と鳥肌を立てて恐怖を感覚的にねじ込んできていた。心臓がうるさいほどに鳴り響く。背中へ何かが這い上がる。それに心臓がやけどするほど冷たく、握りつぶされた。
「……ぐ」
スナイパー同士で撃ち合うのは初めてだった。
俺にとって最悪なのは『初めて』だけじゃない。敵のライフルのほうがこちらのライフルより高性能だというところだ。
ついでありがたいことに機銃をこちらへと向ける二階の兵士達。
これで飛んでくる弾が二倍以上に増えた。
周りに銃弾が次々と着弾し、砂埃を立ち上げる。
「――ッ」
思わず縮こまりそうになる体を、唇を噛む事で無理やり引き止めて、息を止めて引き金に力をこめる。とてもじゃないが正確に狙っている余裕はない。けん制でもいいから撃つ。
飛び出した弾丸は、仲間の隠れている民家を跳び越し、橋を飛び越え、その先にある敵の隠れる欄干を飛び越えた。パシュンという情けない音と共に、機銃を撃っていた兵士のいる集合住宅の、一階の窓を叩き割った。
その音に、スコープをのぞいていた敵は少し体をびくつかせ、後ろを僅かだが振り返ろうとした。
その間に体を転がしてもう一度壁に隠れる。
少しだけ頭を出して、仲間の場所を確認すると、口を開いた。
「ウィンターズ!」
潜伏する建物のドアから反撃していた若い男が反撃の手を休めて頭を下げると、俺を見た。
俺は握りこぶしを作って、親指を立て、その指先を機銃を撃つ敵へ向けて左右に振った。
ハンドシグナルで『一斉攻撃』
若い男……ウィンターズは右手で親指を立てると、バラバラに撃っていた仲間達の射撃をやめさせた。
仲間達に何かしらを口頭で伝えると、ウィンターズはドアから身を乗り出して、機銃へと向けて銃を撃った。それを合図に、仲間も民家の二階や、窓の各所から同時に射撃を開始した。
先程からの散発的な攻撃よりもかなり効率的になった。今度は機銃を撃っていた敵が、頭を下げながら移動を開始する。
俺はそれを確認すると銃を構えた。体を伏せて、今度は僅かに体を出した。スコープをのぞく。
案の上、スナイパーは慌ててウィンターズたちへと照準を変えていた。
そこへ、十字を合わせる。
ふう、と息を吐く。吸う。
息を止めた。
その時になってスナイパーはやっと俺に気づき、照準を変えようと身じろぎした。
「――ッ」
かちん、と引き金が引かれた。
ターンという、聞きなれた音が、敵のスナイパーに重なった。
■
夜を迎えたそこは、暗闇に支配されつつも、兵士達の明るい笑い声と焚き火によって雰囲気も、そして空気もやわらかく、明るくなっていた。。
鉄のカップ片手に笑いながら話す兵士。
配給された、久しぶりの肉の食事に舌鼓を撃つ兵士。
気分よく歌をがなりたてる兵士。
それぞれが思い思いにその時を楽しんでいた。
「大尉、さすがですね」
ぼんやりと彼らから離れた位置でその様子を見守っていた俺に、ウィンターズがコーヒー片手に近づいてきた。
「なにが」
俺は気のない返事を返した。正直、他の仲間のように騒げるような心境じゃなかった。
「なにって、昼間の狙撃ですよ。うまい戦い方でした」
「…………」
正直、思い出したくもなかった。硝煙と血の臭い、機銃の連続する轟音に、反撃するアサルトライフルの発砲音、間の抜けた狙撃音に、弾丸が体の各部を持っていくたびに聞こえる血が飛び出す液体音、それが記憶と五感に伝わるたび、俺の中の恐怖と、敵と戦うことへの義務感が、冷たい切迫感と共に湧き上がる。……撃て、撃って勝たなければ、自分が死ぬ。
どうにも、嫌になるほど俺は「兵士」だった。
「うまい戦い方なんて、ない」
「え?」
地面へ座り込んだ俺の横に立っていたウィンターズは、驚いたように声を上げた。
「お前達をおとりにして撃ったんだ。俺は大尉として失格だし、お前達は兵士としてうかつ過ぎだ。助けてもらったなんて、楽観するな」
ウィンターズは俺の言いように少し眉根を寄せる。
俺はそれを視界に入れつつ腰から水筒を引っこ抜いた。口に運ぶ。……いったい水筒の中身はどうなっているのだろう。味は鉄くさかった。無理もない。もうこの行軍生活を二年も続けてるんだ。ただの鉄の入れ物が錆びない方がどうかしてる。
「二年になりますね」
ウィンターズは露骨に話題を変えた。
「そうだな」
それでも俺は何も言わなかった。先程の話題に戻したところで、また暗い話に戻るだけだ。
きっと俺達は救いを求めているんだと思う。
今はどうあがいても救いのない話なんかより、バカみたいにハッピーな終わり方をする映画が見たい。
もちろん、そんな下らない願いは、ここにいては永遠にかなわない。
「最初に組んだ奴等、覚えていますか」
ウィンターズはポケットから丸い金属……兵士の名前が書いてあるドックタグを取り出した。
「マイク、ロウ、エリック、ロジャー、エイブス……いい奴等ばかりでしたね」
楽しそうに語り、何かを思い出すように目をつむるウィンターズに、俺は小さくため息をついた。
「……ドックタグ、返しとけよ。いいかげん」
「そうですよね、そろそろ、返さないと」
ウィンターズは笑った。
ドックタグは、兵士が戦場で死んだ場合、誰かが回収して本部や大隊に返還する。するとその持ち主は死者として扱われ、軍の記録に『死者+1』とされる。軍も無駄な『救出作戦』を展開しなくて済むということだ。
なにより、ドックタグの回収は遺族への『戦死報告』に一役かっている。
「でも、家族の方も、永遠に『行方不明』のほうがよくないですか? 『戦死』よか、希望が持てる」
「クズみたいな考え方だな」
俺はもう一口、水筒に口をつけた。
「そんな、野良犬に餌をやるようなことやるから、絶望が深まるんだ。死ぬ間際までそいつが帰って来るときを待たせる気か」
ウィンターズは小さく、咳き込むように笑った。
「今のセリフ、ロウが聞いたら怒りますよ。『また隊長がネガティブになってやがる!』」
ウィンターズはロウを真似て俺の背中を叩いた。俺は思わず咳き込み、口に含んだ水筒の中身を地面に噴出した。
「ゲッホ……何しやがるバカ野朗!」
「ロウですよ。今のはロウがやったんですよ」
愉快そうに笑うウィンターズに、
「…………」
舌打ちすると、俺はすぐに怒る気力を失った。
いや、正直、ここのところ何をするにしても気力が湧かない。どうしてかはわからないが、きっと長く戦場にいるせいだと思う。ここにいると、なぜ生きているのかすらわからないのだ。いつか死ぬためにここにいるとしか思えない。きっと『死ぬ為の』順番ってのがあって、その台本通りに俺達は死ぬのだろう。俺は偶然、台本の端に置かれているだけなのだ。
ふと、俺は右手が震えていることに気がついた。開いた手が、ぶるぶるとまるで痙攣でもしているかのように揺れていた。
「どうしたんです?」
いつもなら、もう少しは怒鳴るからだろうか。不思議そうにウィンターズが俺を覗き込んできた。
「……いや」
俺は……よくわからない内に右手を握り締めて、無理やり震えを止めていた。さりげなくポケットに突っ込んで隠す。
「なんでもない」
「大丈夫ですか? 以前の傷が開いたとか……」
「本当に、なんでもないんだ」
俺は必死になっていた。立ち上がると、ごまかすために適当に歩きだした。ウィンターズはあわてて俺の後ろを追う。
俺は適当な話題を探すと、口を開いた。
「それより、今日の死傷者数を教えてくれ」
ウィンターズは何か言いたそうだったが、俺がもうこれ以上は私事を話す気がないと悟ったのか、
「……負傷者七名、死者二名です」
それ以上追求しようとはしなかった。
「数が多いな」
「特務でしたので。本来の任務を踏んだ編成と大分違いますし……」
「大隊に連絡しておこう。補充兵を送らせろ。前回の奪回作戦といい、こんな調子で頭数が減るならこの先足りなくなるだろう」
「わかりました……夜明けまでに大隊へ連絡をつけさせます」
ウィンターズが素直に頷くのを見て、俺はふぅ、と溜息をついた。ごまかすために適当についた話だが、それはあまりにも現実的すぎる話題だった。実際、この中隊は明らかに数が少ない。焚火に当たる兵士達に指先を飛ばし、仲間の数を概算する。
「二十七人か……大分半端な数になったもんだ。次は何人来るか……」
「二桁超せばいいほうでしょう」
ウィンターズは肩をすくめた。
「本土は切羽詰まってますよ。最近来てるのは訓練生ばかりですし」
「……そうだな」
俺達はしばらくおし黙り、そのまま何の気なしに歩いた。
しばらくすると、ふと、俺の視界に広大な夜空へと腰を降ろした星が迷い込んだ。それを追いかけるように夜空を見上げると、驚く程の銀や、輝く赤色の星が俺を見下ろしていた。それは時とともに刻刻と色や形を僅かに変え、まるで生きているかのように優しい光りだった。
「……もう、あと何回同じ事を繰り返すんだろうな」
「……は?」
俺の横を歩いていたウィンターズは、突然呟いた俺にポカンとした。
「戦って、敵を撃って、撃ち返されて、仲間が死んで、補充兵を連れて来て、また戦って……仲間が死んで。ここに来てから毎日同じことを繰り返してる気がするよ。いったいいつになったら……終わるんだか」
俺は頭を振った。口に出した考えは、大尉になって以来ずっと考えていた事だった。
ここでは延々と死が繰り返されるだけで、他には何も変わりばえするものはなかった。言わば、『死』がエンターテイメントなのだ。
それだけ、ここでは『死』が当たり前に感じる。病気で死ぬのも、銃弾で死ぬのも、同じ『死』なのに、今や俺にはそれは別のもののように感じていた。
『死』の単位はいつの間にか『死』そのものではなく、それを構成する『恐怖』に片寄っていた。ここで死ぬなら、病で死ぬほうがよっぽどマシだ。そっちのほうが、恐怖はない。
ウィンターズは俺の視線に気がついて、同じように空を見上げた。
「……こんなことしてなんになるんです?」
「さあな、上の奴らに聞けよ」
「違いますよ。戦争じゃありません。空を見上げて、何してるのかって聞いてるんです……センチメタルな気分に浸かれましたか?」
ウィンターズは呆れていた。両手を広げて、間抜けな顔を作る。
「同じ気持ちになれなくてすみません。でも、俺はここに来てからというもの感傷に浸ることができなくなってまして」
俺は星からウィンターズに目を移した。そこには、星と比べたら、随分汚らしいすすと土にまみれた顔があった。
「……そいつはよかった。お前も俺と同じ殺人マシーンに早変わりした訳だ」
へっと俺は笑った。そうだな、そうだ。俺達に感傷なんてもの、贅沢すぎて神様は与えてくれなかった。ずっと、生きるために這いつくばって来たんだ。これからも、ずっとそうやって足掻いていろと、神さまは言っているのだろう。
随分なことじゃないか。
ウィンターズは少しだけ笑うと、俺の腰から水筒を奪って口をつけた。あ、それ、必死に故郷から持ってきた酒なのに……
ふと、ウィンターズは顔を引き締めた。……いや、違うか。疲れきった顔になっただけだ。
それは戦場ではどこにでも転がっている表情だった。少なくとも、俺は二年間、その顔を見続けている。雨にぬれながら、土砂にまみれた塹壕でじっと息を潜める時、暗い森の中で敵が来るかもしれないと遠くまで走る平原を見つめるとき、そのどのときも、兵士達は疲れきった顔をしていた。感傷なんてものじゃない。もっと荒削りで……絶望的なものだ。
「早変わりした訳じゃありませんよ」
ウィンターズはつぶやいた。
「昔大尉言ってたでしょう。『死んだ奴等は皆星になって俺達を見ている』って。星を見るたびにその言葉を思い出してました。『あの星はマクだ』『あの星はエリックだ』って。考えたら止まりませんよ」
そうだったけかな、俺、そんな事言ったかな、と考える俺を無視して、ウィンターズは俺から奪った水筒にもう一度口をつけた。グビリ、と咽を鳴らすと、疲れた顔で、笑う。
「夜空を見上げるたびに星が多く見えるのは、きっと死んだ奴らが皆上に行ってしまうからです。あそこには俺達の仲間がたくさんいるんですよ。いつか……」
そういうと、ウィンターズは立ち上がった。
水筒を無理やりに俺に押し付けると、焚き火に向かって歩き出す。こんどは俺があわてて追いかけることになった。
「お前こそ」
ふと、俺は奴が何を言おうとしていたのかがわかって、鼻で笑ってやった。
しばらく追いかけて、途中で俺は追いかけることをあきらめた。なんだかこっぱずかしい気がした。
「お前こそセンチメタルじゃねえか」
ウィンターズは少し遠くで立ち止まると、俺に振り返った。その顔は、笑っている。
「知ってますか? ……俺達には、そんな権利、与えられていないんですよ」
「……ああ」
知ってる。
知ってるさ
俺はそっと呟くと、水筒に口をつけた。
「……チッ、やられた」
その中身は空になっていた。
|