■2
廃墟の中心、枯れきった噴水を背に、俺は仲間達を見回した。
「ついにこのラングシュメール地区全域を落とす時が来た」
俺は通信兵に渡された大隊からの通信記録を見ながら言う。
「我々D中隊が遥か西の果て、バハマ海岸から降下、進攻を開始して四ヵ月。数々の仲間を犠牲にしてやっとここまで来た」
俺の前には補充兵を含めた三十二人の兵士達が、適当に俺を囲むように立っている。
同じく補給された銃や、手榴弾を手にして。
「ラングシュメールは西から東への進攻でそのほとんどを我々が占領。残ったのは二つだけ。我々が進攻する市民街ケイブと、軍事拠点となっているネルフ」
兵士達の目はすべて俺に向いている。だから、その中にある色も感じることが出来た。
覇気の無い、義務感と徒労感に練り込まれたような瞳は歴戦の兵士達。
緊張を押し込めようとギュッと唇を噛み締めているのは補充兵。
そしてそのどちらにも、得体の知れない黒い『何か』にねっとりと絡めとられているようだった。
「……名前なんて覚えなくてもいい」
俺は記録をポケットにねじこみながら言った。
「いなくなった仲間のことも忘れろ。どうやって命令に従うかだけ考えておけ。……余計な事を考えるな。そうしないと次は」
ふと、補充兵の一人と目があった。
「…………」
疲れたような目では全くなく、清んだ、青い瞳をしていた。
「……俺がお前達に言えることは少ない。各自、生きて帰る事を考えろ。……フーアー」
「フーアーッ」
兵士達は敬礼すると、それぞれの準備にかかった。静寂に包まれていた空間が、雑然とした足音と話し声で騒がしくなる。
「大尉」
ウィンターズが、武器を片手に近づいて来た。
「予想通りでしたね」
俺は足元で転がっていた敵の死体から拳銃を持ち出し、それをもてあそびながら呟く。
「補充兵の数か? それとも訓練生だった事?」
「両方ですよ」
ウィンターズは掌を返して少し持ち上げた。 顔を渋らせる。
「戦争は景気がいいのに、軍は羽振りが悪いですね」
「…………」
俺はウィンターズを見た。ウィンターズは煙草をくわえて、器用に溜息をついている。相変わらずの煤と泥にまみれた顔だ。
俺は少し俯くと、すぐに顔を上げ口を開く
「……ここだけの話だが」
ウィンターズが煙草を指に挟みながら俺をけだるそうに見た。
「え?」
俺は死体を蹴り飛ばすと、仲間達から少し離れた建物に歩き出した。
「ちょ、ちょっと……」
ウィンターズも煙草を捨てて、慌てて俺について歩き出した。
不満げに鼻を鳴らすウィンターズには悪いと思ったが、そういう感情を外にだすような余裕は、俺にはない。
しばらく歩き、仲間を見ると、大分離れて、彼等は薄い朝霧に紛れていた。
追い付いたウィンターズは俺を見て、同じように仲間を振り返った。そしてそこに何もないのを知り、口を尖らせる。
「なんなんです?」
俺は溜息をつき、また少し俯いた。口は鉛の様に重い。
「……俺は正直、この作戦がD中隊にとっての……最後の、任務になると思ってる」
「なんですって?」
ウィンターズは慌てふためいて周りを見回す。
「便衣兵に聞かれたら殺されますよ」
「だが事実だ」
元はカフェか何かだった建物につくと、柱に隠れて小声で耳打ちする。
「お前達は知らないが、この間前線基地がやられた。状況はどうあれ前線は後退せざるえないだろう。にも関わらず俺達には進攻命令……おかしいと思わないか?」
ウィンターズはしばらく動きを止めた。しかしすぐに笑って頭を振る
「……そんな、考えすぎですよ」
「そうか? 俺にはそうは感じんな。大隊からの連絡はいつだって不明瞭なのに、今回だけやけに詳しく伝えて来た。武器も、兵の置き方も、どこから入ってどこを攻撃してどうやって倒せばいいかまで」
「大尉、それは」
「ウィンターズ、この間俺がお前達を囮に使ったの覚えてるか?」
「……はぁ?」
ウィンターズはまだ事態がどの程度危険なのかわかっていない。しつこい俺に呆れて苛立っていた。それでも俺はつっかえながら続ける。
「あの時俺はお前達が俺より前で、……敵に近くて、敵にとってお前達が脅威だからお前達を利用した……わかるか?」
ウィンターズはしばらくの間まじまじと俺を見た。
「……ええ。よくわかりましたよ。大尉の事がね。明日までに上官除隊願を出しておきますよ」
ウィンターズはそういうと、ククッと笑った。冗談でも言っている気らしい。
瞬間、俺の頭はカッとなった。俺の意思とは関係なく腕が前に飛び出す。
「ウィンターズ!」
俺は焦りと苛立ちで掴みかからん勢いでウィンターズに迫っていた。
「な、なんなんですか!? 大尉、おかしいですよ!」
ウィンターズはいきなりの事に目を見開いてびくつく。両手を上げて、上体を反らせた。
「…………」
ハッとして我にかえると、自分の息が止まっていたことに気がついた。あわてて息を元に戻そうとするが、まるで何かが咽の奥に詰まっているかのような呼吸しか出来ない。
「……ハッ……カッハ、ふぅ、ッふぅ、はぁ、はぁ……はぁ……糞……」
「あの、大丈夫ですか大尉……」
ウィンターズはまるで別の生き物でも見るかのような目で俺を見ていた。俺は胸を押さえながらその目を見返す。
「……大丈夫だ。ッはぁ……すまない、話を聞いてくれないか。頭がおかしくなりそうなんだ」
ウィンターズは眉を寄せたが、しばらくすると、ゆっくりと頷いた。
俺達を囲む状況は常にシビアだった。
俺達が過去、そして現在まで行ったラングシュメール降下作戦は、敵国の本土攻撃最初の足がかりになっている。国では俺達は英雄だろう。何しろ、勝つどころか引き分けすら難しいとされていた敵にいきなりカウンターパンチを浴びせたのだ。英雄にならなきゃ歩に合わない。
そんな英雄として崇められている俺達は、元々志願兵として軍にいた……今考えるとバカ野朗どもだった。
俺達が所属していたのは厳しい降下訓練を受けていた特殊部隊、D中隊。そこにある日降下命令が下った。
その三日前には敵国はかねてからの緊張状態から一転、俺達の本土を急襲、軍事港一つを丸々つぶしていた。港にあった基地は補給艦二隻を残し全滅。海兵隊員百四十名が負傷し、二百二十三名が死亡、七十八名が行方不明となった。
この『大敗』をきした状況に軍上層部は国土及び領海、領空に防衛線を張ると共にすぐさま反撃に移った。
まず一番近いラングシュメール地方への上陸を画策した上層部は、素早く制空権を得て、先の命令により輸送機に揺られていた俺達を降下させる。
シビアだったのはここからだ。
俺達は制空はされていたが『制海』はされていなかったそこで、海軍と敵本土との両挟みにされた。猛攻を受けて、俺達D中隊そのほとんどの仲間を失った。
なんとか命からがら生き残り、後ろ盾のない戦いをして俺達はそこを制圧したが、その後も俺達にはシビアな状況が待ち伏せていた。
半数以下に減らされた俺達に、味方からの『帰還命令』は行われず、代わりに『進行命令』が言い渡されたのだ。
俺達は当然反抗したが、誰もそれは聞き入れなかった。通信へ『無理だ』と伝えても、帰ってくるのは同じ答えばかり『前進せよ』。
もとより俺達に帰るところなどなく、後ろに控えているのも敵だった。落下傘部隊は『囲まれてから戦う』が基本だ。その意味を、俺達はその時、やっとわかった。
そこからの戦いは長かった。一言で言い表せぬほどの戦いに、戦いを重ねた。ラングシュメール地方は陸に上がるのは簡単だが(もっともそれも失敗したわけだが)、そこから進行するのは、連なる山と崖で困難を極めた。
つり橋の上での戦いや、山頂から攻撃される激しい銃撃戦、そしてやっと平原についても今度は市街戦が待っている。
その中を四ヶ月……そう、四ヶ月もの間だ。俺達は戦ってきた。一度として気が休まった日はない。いつだって俺達は、銃弾の恐怖におびえていた。周りはどこだって、敵なのだ。
一週間前、マクが敵のロケット砲で死んだ。激しい市街戦の時に、ロケット砲が窓に直撃した。マクは偶然その時窓の近くにいたために、吹き飛んだガラスの破片が信じられないほどたくさん肉に食い込んで、そして死んだ。
マクが死んだことで、最初の降下作戦に参加していた兵士は俺とウィンターズだけになっていた。
シビアだった。
その時、同時に前線基地が爆撃を受けて大損害を受けたと聞いた。普段なら大したことなく対空砲で撃ち落として終わりなのだが、撃ち落とした爆撃機が本部に突っ込んだのだとも。本部から派遣された補充兵にだ。
「すぐに撤退ですよ。そうしたら、大尉達も故郷に帰れます」
彼は笑って話し、そしてそのまま俺の目の前で狙撃されて、頭を吹き飛ばした。
だからこの事実を知っているのは俺だけ。なぜ一週間たっても撤退命令が来ないのか、なぜ進行命令が続くのか、そこに疑問があるのも俺だけ。
そして今回の進行命令でわかった。俺達は、本部と大隊が撤退するための囮だ。
敵は俺達の動きに注目している。なぜならバハマ海岸の電撃作戦、そして行軍不可能とされていた山岳地帯への進行。各所の基地の急襲によるラングシュメール地方大幅制圧。俺達は目立つことばかりして来ていた。数々の犠牲を払って。
それは上層部の奴らには実に美味い『エサ』に見えただろう。敵をかぶり付かせる釣りの『エサ』。多くの犠牲を払って得た代価といえば、そんなものだった。
今俺達が大々的に動けば、それはもうラングシュメール地方最大の市民街、ケイブへの進行以外考えられない。軍事拠点ネルフへの進行は大隊が行っており、それは既に敵の知るところ。わざわざ遠いところへ進行する意味もないのは俺達も、敵も知っている。
つまり一本線の道を俺達は歩いているようなものだ。俺達には『国へ帰るための最後の侵攻の』道、敵にとっては『待ち伏せするには画期的な』道だ。どこに向かうかわかっている。これほど攻めやすいことはないだろう。
そして上層部からすればそれはまさに好都合。敵は待ち伏せをし、俺達は『大隊からの連絡通り』奇襲進攻を敢行。敵は混乱、D中隊を抑えるのに必死になり、大隊が前線から撤退するのに気づくことはできない。いや、気づいたとしても叩くことはできないだろう。
そしていずれ軍事拠点ネルフからの増援がケイブに来る。そこで俺達の作戦は終わる。
「全滅だ」
俺は言った。
「この作戦の最後のシナリオは、俺達の全滅によって締めくくられる。大隊は撤退し、本部はいつの間にか前線を下げて、そして今度は爆撃機がケイブを吹き飛ばす。そうすれば形勢はまったくの逆転。俺達との戦闘で疲弊した敵が大損害を受け、前線を今以上に譲らざるをえなくなる」
俺が座り込んだままウィンターズを見ると、ウィンターズはつめを噛んだまま地面を見ていた。
「……考えすぎっていうのは」
「そのわりにはでき過ぎてるだろう」
俺は自嘲気味に笑う。
「俺は大尉としてこの作戦を遂行する。お前達を引き連れてな」
「仲間を騙すんですか」
ウィンターズは俺を睨んだ。なんだよ、俺を睨むのか?
こうなったのは俺のせいじゃない。仲間を騙すわけではない、作戦だ。俺は騙してなんかいない。俺は今までだってそうしてきた。
作戦が伝えられて、俺はそれを遂行するように部隊を動かし、戦う。怖がる新兵を励まし、ケツを蹴り飛ばし、反抗する古参兵をなだめ、銃を握らせた。
例えそれが、どれだけ死に近しい行為だとしても。
「じゃあどうしろっていうんだ……!」
俺はその目を睨み返す。ふざけるな。お前に何がわかる。どれだけ俺がこの部隊の為に尽くしてきたかわからないくせに。どれだけ俺が悩んできたか知らないくせに。
仲間を殺させたくない。そのために、数少ない犠牲で多くを救うことを日常的にやってきた。
そのたびに、俺がどれだけ悩んだか。お前は知らないだろう……!!
ウィンターズはさらにその怒気を強めた。
「やっとここまで来たのに……! 何人の仲間が死んだと……!!」
「そんなことはわかってる!」
「わかっちゃいない!! どうして! どうしてですか!! どうして……俺達ばかり!!」
ウィンターズはうなだれた。そのまま壁に手をつき、崩れ落ちるようにしゃがんだ。
「ウィンターズ……」
お前、悲しいのか?
苦しいのか?
俺にはわからない。
俺は何人もの人間を、やむ終えないという理由で殺してきた。見殺しにした。囮にして、盾にして、それでより多くの命を救った。
ここに来てから俺はおかしくなってしまった。
……いや、おかしく『なった』。
人間が人間を『数』として評価するなんて、やってはいけないことだった。たとえ百人を救う為だとしても一人を盾にするべきではなかった。二百人だって、三百人だって……。
みろ、裏切られた俺の姿を。
俺は上層部をののしる権利などない。
俺は同じことを何度も何度もやってきた。多くの仲間を救うため、僅かな仲間達を、裏切った。
裏切られた奴の顔は、全部、鮮明に覚えている。
マイク。お前がいることを知っていながら、俺は橋を落とした。お前の真後ろに、敵が迫っていた。落ちる瞬間のお前のゆがんだ顔。
ロウ。崖から落ちそうなお前の手を離したのは、俺が撃たなきゃ仲間達が、俺達の仲間達が爆殺されていたからだ。「手を離す」と俺から聞いた、お前の悲しみのような、あきらめの様な顔。
エリック。逃げ出そうとしたお前を撃ったのは、お前が憎かったからじゃない。そこを死守しなければ、皆爆撃を受けて死んでいたから。お前に続いて逃げ出そうとする新兵達を思いとどまらせるには、それしかなかった。すまない。撃たれながら振り返ったお前の、裏切られたという絶望の顔。
ロジャー。負傷したお前をおいて逃げた。敵は目の前に迫っていたし、戦車のキャタピラ音、お前も聞いたろう? 俺はそれ以上、仲間全員を一人の為に犠牲にすることはできなかった。「待って」といった、お前のおびえた顔。
エイブス。たった一人で突撃なんてさせて、すまなかった。もっとも勇敢な仲間の、俺はその勇気さえ利用してしまった。腹と肺に弾丸を受けながら、あの防衛線を突破したときのお前の、嬉しそうな、やりきった顔。
皆、すまなかった。
俺はお前達を裏切った。自分を、仲間を、ウィンターズを助けたくて、お前達をはかりに掛けた。
すまなかった。
許されないだろう。許してくれないだろう。
裏切った俺を、誰も許してはくれないだろう。
だから俺はここで逃げ出すことはできない。
お前達を犠牲にしたように、自分と、そして仲間達を犠牲にして、俺は大隊と前線基地を守る。数少ない犠牲で、俺はより多くの、仲間を救う。
迷うことなど、許されない。俺は、どうしても、この作戦を遂行しなくちゃならない。
「……どうしてですか」
ウィンターズはうなだれたまま、呟いた。俺はその見えない顔に、少しだけ震えた。怖いわけじゃない。すまなさに、身が震えたのだ。
どうしてすまないのか、わからなかった。
「どうして、俺に話したんですか」
「…………」
それも、わからない。
「迷ってたんじゃないですか? 俺に止めて欲しかったんでしょう?」
……わからない。
「本当は」
ウィンターズは、腰から銃を引き抜くと、その銃口を俺に向けた。
「……どうして」
不思議と俺は、疑問は浮かんだが
「本当は、自分を殺して欲しかったんでしょう? 仲間を見殺しにする選択しかできない自分を、殺してほしかったんじゃないですか」
ウィンターズの引き金に指が掛けられても、俺に恐怖はなかった。浮かばなかった。
ただ、すまないとしか……
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