■1
「難儀な人だね、想は」
その、悲しみに満ち満ちた畳張りの和式部屋の中で、光成 条先輩は呟いた。
理知的なメガネ、さっぱりミディアムの髪、それに合わせたかのように柔和で、やっぱり理知的な顔。
来ている黒のスーツもよく似合う。高校生とは思えない。そのすべてをメガネが支えているといっても過言ではあるまい。もしかしたらメガネが顔にあってるわけじゃなくて、顔がメガネにあわせてるのかも。いやぁ先輩、マジメガネ似合ってますね。
「……何にやにや笑ってるんだい?」
「いえ、別に」
俺はその、いつまでも、いつまでも悲しみに満ち満ちた和式部屋の中で、つったったまま呟いた。
そこそこの顔にすっきりショート。受けはまぁまぁいい顔だ。来ている制服もまぁまぁ似合う。メガネはもちろん無い。
そんな俺の顔には一切目を向けずに、光成先輩は俺の荷物と格好に視線を這わせ続けている。
「……ほんと、難儀だよ。お前」
そう言うと先輩は俺が肩に背負った竹刀入れに手をやった。呆れたような、せめるような、複雑そうな顔をする。
「こんなときにも最後まで練習か」
「……これは関係ないでしょう」
ブスっとした顔で……まぁ生れつきなんだけど……呟いた俺に、光成先輩は苦い顔をした。そしてそのまま、顔を俺達の前にある白木の箱へと向ける。
その中には一人の女の子がいる。微動だにせずに、静かに目をつむっていた。しかしその顔には、表情の穏やかさとはうらはらの赤黒い傷痕が残っている。光成先輩は両手を合わせた。すっと息を吸い、ゆっくりとはく。
「……まだ現実感がわかないな。確かに酷い死に様だけれど、それだけじゃ、な」
チラリと光成先輩は俺に目をやった。俺は別段それに言い返す事も無いので黙りこくる。じっとその、思ったより小さな箱の中で目をつむる彼女を見ていた。彼女は、つい昨日まで楽しげにはしゃいでいたあの女の子は、今や物言わぬ傷物の人形と朽ち果てていた。
「人間、死んだらこんなモンなんスかね」
「実物前にすると、そうだとしか言いようがないよ」
俺の小さな呟きも光成先輩は苦笑して返す。しばらくぼんやりとし合ったあと、先輩は思い出したように呟いた。
「お前の彼女も来てたぞ。空ちゃん、外でまってたんじゃないか?」
俺はこの家の前に来たときのことを思い出す。誰かいたっけ? 周りが田んぼばっかりなのに驚きながらここに来たんだよな。んで、確か狭い門だな、とか思いながら入ってきて、告別式が居間で行われているのを意外に思って、誰もいないことに「しまったなぁ」とかぼやきながら門からまっすぐの玄関から田舎独特のデカイ家にお邪魔させてもらったところで光成先輩に会って、この……なんつーか……眠っちゃった子の狭い和式部屋まで案内されて……
「……いや、俺見てないっす」
色々考えてみたが、自分の彼女に会ってきた思い出はなかった。
「そうか? あぁ、きっと想が家から出てくるのを待ってるんだよ。彼女も恥ずかしがり屋さんだからね」
「アレがですか……? あれは真面目すぎなだけだと思いますよ。今だって、単純に俺の様子を探ってるだけです。俺が悲しんでたりしたら入るときについてくるつもりだったんでしょう」
俺は呟きながら腰を下ろす。なんだか気持ちが落ち着かず、ずっと立ち尽くしていた自分にやっと気がついたのだ。畳張りの部屋はあぐらをかくにはぴったりだった。座ってみると、随分落ち着く。
光成先輩は座らなかった。
「……難儀だな、お前」
じっと俺を見下ろしてため息混じりにそんなことを繰り返す先輩に俺は少々イラついた。
「何がですか」
思いもよらない苛立ちの声が漏れた。そういう感情を押し込めるのは得意なはずなのに。うわ、 なんで俺こんなに怒ってんだろ……
俺は気を落ち着かせるために、ご両親に用意していただいた(……これを口に出して言ったら噛みそうだ)お茶と……葬式まんじゅうに手を出した。
(すげ……ホントにまんじゅうとか出るんだ)
薄いシートに包まれたそれにつめを引っ掛け、ピリッと引っ張る。
「あ」
思わず力を込めすぎてしまっていた。中のまんじゅうまで崩れてしまう。
(……なにやってんだ俺は)
自分で自分に呆れながらその崩れたまんじゅうを口に放り込む。それをお茶で流し込み、 俺はふぅ、と小さくため息にも似た息を吐き出した。甘い。そういや俺は甘いのが苦手だった。
「お前、今なんで自分が悲しんでないかとか考えてんだろ」
先輩は相変わらず立っている。黙って、突っ立っていた。
俺は、まんじゅうにもう一つ手を掛ける。
「……なんで」
「だって部活、やってきてるじゃないか。俺だったら考えるよ。『あぁ、人が死んだってのに俺は慌てることもなく――』」
「先輩には関係ないでしょう」
モゴ、と俺はまんじゅうをかじったまま先輩の言葉を遮った。
「部活をやってきたのはいつも通りです。それを一々後悔したりしませんよ」
先輩はすっとしゃがみこんだ。いつの間にかまんじゅうしか目に入れてなかった俺の目線に、先輩はわざわざ目を合わせてくる。
俺はもう一個手にとった。
「でもさ、お前考えてるだろ。そういうの、理屈じゃないんじゃないか?」
「…………」
モゴ、と俺は口を動かした。甘い。甘すぎてまずい。気分が乗らない。ぐるぐると何かにかき混ぜられて、悲しいとか、嬉しいとか、そういう感情がぐちゃぐちゃにされてしまっているかのようだった。何がなんだかわからない。
俺は何も考えずに口を動かし続けた。甘い、とそれだけに一生懸命なまんじゅうを食っていれば、俺も何か一つの答えが出せるんじゃないかと思っていた。
先輩はそんな俺を無表情に見ていたが、しばらくすると立ち上がった。
「食べ終わったら、帰ろうか」
「…………」
俺は何も言わずに首を縦に振った。まんじゅうをポケットにねじ込んで。
先輩はそんな口をもごもご動かしながらまんじゅうをポケットに突っ込む頭の悪そうな男を見ると、クック、とこらえたように笑い出した。
「お前ってさ、ホント、難儀な奴だよ。いっつもなんか考えてるよな。今の状況とか、自分とか変えるために必死になってさ」
「…………? ……! ……!」
俺は先輩が妙に感心したように俺を見るので、モゴモゴモモゴとさせながら必死に頭を振った。何言ってんだ。俺はそんな情けねえ奴じゃねえ。
先輩はしかしそんな俺をあっさり無視をするとその部屋を出た。出かけに手を合わせると、階段を下りて一階へ向かう。さすが田舎。でかい居間に遺影が飾ってあった。
「すみません。失礼しました」
先輩がぺこりと頭を下げた先には、あの子のご両親がいた。
母親は真っ赤に泣きはらした目をして、半狂乱になりながら遺影の前で叫んでいたが、父親のほうは比較的冷静だった。
「いえ、どうも……ありがとうございます。娘も、喜んでいると思います」
「はい。わざわざ顔まで見せていただいて、ありがとうございます」
先輩は、やはり同じように泣きはらした目をした父親にさっぱりとした挨拶を決めると、落ち着いた様子で玄関に向かった。ずっとそのうしろでついてまわっていたバカっぽい俺は、さっと頭を下げると玄関についていく。
「……娘は!」
その背中に声がかかった。俺はまんじゅうを苦労して飲み込んでいたが、その途中で振り返る。
母親が半狂乱の顔のまま俺を見ていた。
「娘は、苦しんで死んだんです! あの子ははね、お風呂の中で一時間以上、呼吸のできない苦しみと、内臓の腐っていく痛みにもがき苦しみながら死んだんです!」
「おい、お前、やめないか!」
父親があわてて止めに入るが、手で制するくらいでは当たり前のように効果はなく、半狂乱の母親はその腕を乗り越えるように叫んだ。
「死んだのよ! 娘は、死んだの! 顔につめを立てながら、苦しみながら死んだの! あなた、悲しくないの!?」
「おい!」
父親は必死の形相で母親を押さえ込むと「失礼しました、すみません、今日のところはお引取り願えませんか?」と大声で怒鳴った。
俺は動けなかった。
不覚にも母親のその言葉に、俺はショックを受けていたのかもしれない。だが、そのときの感覚はもっと違うものだった。
(あぁ、おれは……)
「想、帰ろう」
俺は先輩に袖を引っ張られた。いつの間にか先輩は玄関からこちらの騒ぎを聞きつけて戻ってきていた。先輩は困ったような、真剣になりすぎて頭を痛めたような、やっぱり複雑そうな顔をしていた。
家から出ると、先輩は近くにいた親族らしき人に中の状況を伝えた。
「またかい……しょうがないの、益恵さんは。一人娘ってのは、つらいものが増えるから……」
と一人のおじいさんが家の中に入っていく。随分慣れた様子だった。きっと、なんどもこんなことを繰り返したのだろう。周りにいるほかの親族も、小さくため息をつくだけだったりと反応は一様に冷たかった。
「先輩」
俺と先輩は門を出ると、大きくため息をついた。そういやため息って、一回つくごとに幸せが逃げるんだっけ。それなら俺は今日、もう一生分の幸せを逃してしまったことになる。
「……なんだい?」
「俺ってそんなに無愛想な顔、してますか」
「……顔の問題じゃないさ」
先輩はそう言うと、「まんじゅう、俺にもくれ」とちょっとおちゃめなギャグを飛ばす。当然俺はまんじゅうはやらなかった。「いいじゃないか、一つくらい」というのでポケットにあったまんじゅうを一個取り出し、先輩の手にかざす。先輩が取ろうとした瞬間にさっとあげて、口の中に放り込んだ。先輩は貴様っとつぶやくとささっと俺の後ろに回ろうとする。おっとそうはさせんぜよ、とかなぜか竜馬口調になりながらささっと俺もまんじゅうをかくして回る。
そんなバカなコントをしていると、突然肩をバシンっと叩かれた。
「先輩」
その声はもちろん俺じゃない。女の子の声だった。
振り返る。
「空」
まるで犬が甘えるような「くぅ」という発音になってしまうのは俺の声ではしょうがないことだ。だが彼女はそれが気に食わないらしく、少しだけむっとした顔をすると、じっと俺を睨んだ。
空は不思議な女の子だ。まるで人のようじゃない。完璧なぐらいの綺麗な女の子だった。
肩までのさらさらの髪は夕闇に沈む世界にも負けないぐらい漆黒で、男の目から見ても随分手入れに気を使っているのがわかる。繊細なその髪の輝きは、誰の心をも掴む。陶器のような白い肌はつややかに月の光を反射させ、彼女の姿を周りの人間から浮き上がらせていた。そしてその顔はやっぱり整っていて、僅かな動きも人を揺さぶるには十分なくらいだった。ただ、あまりに薄ぼんやりとしたその姿は
「先輩、幽霊がいます」
「あ、ホントだ」
と思わせるには十分な説得力をもち、じっとこっちを見つめる顔も
「しかも地縛霊ですよ。見てください。俺に恨みを持ってる」
「あ、ホントだ」
とか言わせるにも十分な説得力を持っていた。
「……最低ですね。私、待ってたのに」
後輩である彼女は月の光を瞳にいっぱい写しながら、無表情に呟いた。
その目は、赤かった。
(……やっぱ、泣くよな、普通)
「空、待てよ」
そのまま帰ろうとする空の肩に手をやり、「一緒に帰ろう」という俺の誘いも手を払うことで突っぱねた彼女は、そのまますらすらと行ってしまう。
「お〜い……」
と、そんな俺の情けない呼び声も彼女を止めるには力不足だった。あ〜あ〜……もう何がなんだか……
「追いかけなよ」
後ろから心配そうな声で先輩が声をかけてきた。
「俺はお前達が心配だよ。ホント、付き合ってるのかどうかすらうたがわしいんだから」
「ウソつけよアンタ……今後ろで笑いながら『カッコわりい』て言ってるの、俺聞いてんだからな」
そう言うと、先輩は心配そうな顔から次は笑いをこらえる顔になって
「そんなこと無い。おれは本当に心配なんだぞ」
と表情とチグハクなことを言う。この人は……
俺はフンっと鼻を鳴らした。
「いいんです。どうせ、アイツと帰ると慰めなきゃいけなくなるんだから」
俺はポケットからタバコを取り出す。ジッポを取り出すとそれをカチカチと何度か動かし、ガスが少ないためにポッと浮かび上がる弱弱しい火を見つめた。
浮かんでは消え、浮かんでは消える火が、何の慰めになったのかはわからないが、そのときの俺にはすごく綺麗に写った。まるでこの世界自体がもう衰退しきって何もなくなってしまっていて、その中で唯一美しいものを目にしたような、そんな馬鹿な感傷に浸っていた。
「俺はそんなの、まっぴらです。俺はあの子が死んでも悲しくなかったんだから。アイツと『悲しいね』なんて言う資格無いんですよ?」
やっと火がついたタバコの煙を吸い込むと、少しは自分がちっぽけで頭の悪い人間なんだと気がつくことができた。
タバコの火でぼんやりと写った先輩の顔を見ると、先輩は困った顔をしていた。珍しくはっきりとした表情だった。
「風香さん、タバコ嫌いって知ってた?」
いきなりその名前を出されて、俺はちょっと困惑した。だけどタバコの力が俺を冷静に突き動かしてくれる。
「俺は風香先輩のことは何も知りません」
「そうか」
先輩はそういうと、困った表情のままクックッと笑った。
「お前、また色々考えなきゃいけなくなるな」
「……別に」
タバコの先端が、灰になってもろくなっていた。
そしてそのまま地面にその身を、その半身を落として、わずかばかりに輝くと、風に吹かれてその光をも奪われた。
俺はそれを、じっと見ていた。
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