■5
訓練開始時、ヘリ駐機場に向かった矢先に出鼻をくじくように開口一番言われた。
「いいか、ここへ来たら今までの細やかなメンテナンスは忘れろ」
幸い頭の方はヘリパイロットになった時点で既にメモリ一杯だったから、忘れろと言われれば喜んで忘れられる状態だった。
だが戦場に来て学ぶ事はあれど、忘れることがあるとは思わなかったのも事実だ。
「忘れるのですか?……ボブ軍曹」
やっぱり聞き返した自分を恥じた。
聞き返した俺を見て軍曹は溜息をついたからだ。
「ジェームズ伍長、それは疑問か?…OK、答えてやろう。返答はYESだ伍長。そして理由は簡単だ。『墜ちる奴は墜ちる。墜ちない奴は墜ちない』。俺達はメンテナンスはできてもコイツの…」
ガンガンとヘリのコンソールを叩く
「耐久力を上げることはできないからだ。AKなら百、RPGなら一発で吹っ飛ぶか墜ちる。乗ってるやつが直接死ぬこともある」
軍曹は全く物怖じせずにずけずけと『死ぬ』と言った。
俺はその言葉に一歩体が引けた。『死』は今、リアルに体の周りに溢れて来ていたからだ。戦場とはほとんど『死』とイコールで結ばれていて、だがそれであるにも関わらず絶妙なバランスをもって『自分は死なない』という確信を持っている自分がいる。
平たく言えば軽い現実逃避というやつかもしれない。
それが今、ガタリと崩されたようだった。
「歩兵よりマシだなんて考えるなよ。その歩兵を降下させ、救助するのは俺達の仕事だ。」
「それは…教習で習いました」
「なら習ったよな?」
軍曹はパイロット席にケツを深く押し込んだ。
「その時にRPGにぶち墜とされる確率は半端な数字じゃねぇ……止まっていて、これほどデカイ標的はねぇからな」
……知っている。
確か任務遂行中の歩兵なんかより数倍危険なはずだ。民兵が相手ならなおさら。奴らは教えられたり学んだりした事をバカみたいに義直にやり続ける。一度RPGでヘリを墜とした奴はその次からもRPGを手に取る率が高い。
……それなのになぜ、俺は『死なない』と思っていたのだろう。
こうやって俺の中にる小さな希望など、押し潰すのは容易なのに。
「……だがまぁ、一つ言うならば、だ」
軍曹は口調を変えた。
いつの間にか視線が全然別にな方向に向いてる。
「……?」
疑問を顔に出した俺には顔を向けずに、軍曹はニカッと笑った。
「ビビるな。確率は所詮数字でしかないし、実際計算上の数字ほど敵が集まってくることもない。SEALの仕事は情報戦だ。戦犯を逮捕するミッションだとか…」
軍曹は親指を立てた。
「Coolなミッションだよ。一時間で終わるやつがほとんどだ」
「……はぁ」
そんな話を聞いても、俺の中にある不安は全然消えなかった。むしろ増える一方で、これを言い表すなら……そう
やり残したことがあるような
黙り込む俺を見て軍曹は鼻で笑った。
「しけた面するなよ。いいか?……」
そうして沈みかけの夕日から視線を俺に移して、ニヤリと笑いを含んだした口調で言った。
「戦場で生き残る奴らの法則ってのをを教えてやる」
「法則……」
「そうだ」
エバンスはトレイからパンを取り上げてかぶりついた。
いきなり隣に来たこの軍曹は、エバンスと名乗っていきなり戦場の常識と言うやつを話し始め、少々面食らった。
しかし、渋く蓄えた髯をなでながら口を開く姿は、どこか故郷の父親を思い起こさせるようで(年はエバンスのほうが全然若いが)自然と話を聞くことができた。
「それは……軍曹とか、少佐とか…そういう階級によって決まるんじゃ…」
「あーいや」
食事の時間も終わりをつげ、随分と騒がしくなったキャンプの中で、エバンスはブンブン手を振る。
「そういうのじゃない。もっと現実的な話だ」
「現実……」
エバンスはペットボトルのキャップを開けてミネラルウォーターを飲みくだした。口元を腕でぬぐう。
「生き残るのは『死にたくない』奴だ。生き残ることに全てを賭けるからな。判断が鈍らない。部隊の一員としては問題ありだが」
ふぅっとエバンスは息をついだ。次に彼は風に舞った砂がこびりついた肉になんの躊躇もなくかじりついた。
ジャリジャリととんでもない音をさせてそしゃくする。
「……スパイスみたいなもんだ」
物凄い形相でそれを見ていたフィリップに軽く手をひらひらさせてさらに続ける。
「死ぬ奴はな、『死ぬと思っている奴』だ。」
エバンスは水で肉をノドの奥に押し込んだ。
グビグビと水を飲むエバンスにフィリップは呆れた声をあげた。
「……『死ぬと思っている奴』ですか?」
……そんな奴いるのだろうか?
なんだかさっきから当たり前の事を言っている気がする。
「おうよ」と言いながらエバンスは空になったトレイをほかった。
膝をほおりだすと、ラッキーホープを取り出して口にくわえる。
「火」
「え?」
エバンスは眉を寄せてくわえた煙草をフガフガ言わせた。
「お前、俺が煙草くわえるだけのはったりだと思ってんのか?」
「あ……ああ、ライターっすか」
フィリップはどこだったかと服の各部をポンポンと叩いく。
しばらくかけて。やっと見つけた支給品のジッポを取り出した。
火をつけて、エバンスのくわえている煙草に近づけた。
「サンキュー」
エバンスはスー、パーと何度か繰り返した後、うまそうに笑った。
……この人、大丈夫だろうか?
エバンスは煙草を見つめながら首をこきゃこきゃと鳴らした。
夕日は既に沈んでいて、キャンプの中は照明がついて照らされていた。とはいえ、エバンス達の座るような端の方はうす暗い。それと比例して喧騒もだいぶ離れていた。
そのうす暗い中では、煙草の小さな光りが妙に映えた。
「……俺はな、隊に入る前は医大生だったんだ」
………
「は?」
思わず聞き返したフィリップに、エバンスは目を合わせずに続ける。
「親がな、借金までして通わせてくれたんだよ。俺の将来は最高のルート。医者になって、気立てのいい女と結婚して、家庭も円満。親孝行もする」
フーと煙草の紫煙をはきだしす。
紫煙はゆったりとエバンスの頭上をたゆたい、しばらくするとキャンプの張りに向かって伸び出した。
まるでのんびりとした昇龍のようなそれを、エバンスはしばらく見届けた。
「二百万ドルだ。……俺が医大生になるのに二百万ドルかかった。俺の家は裕福じゃないし、そんな金をだすのは一苦労なんてもんじゃない。借金に、借金だ」
エバンスはまたふー、と煙を天井の張りへと向かって吹きかけた。
フィリップはしばらく黙った後、当然な疑問をつぶやいた。
「医者にはならなかったんですか?」
エバンスはニヤリと笑って、「それだ」と指に挟んだ煙草をフィリップに向けた。
「そうして入った医大では、周りは金持ちだらけでな。俺は一人浮いていた。馬鹿げた話だが、奴らは俺を『貧亡人』呼ばわりしてやがったんだよ。口では友達とは言っていたがな」
「……それが理由ですか?」
フィリップが首をかしげながら、エバンスに向けて聞いた。
友達が原因とはあまりにもガキくさいじゃないか、とでもいいたげに。
エバンスは首を振った。
「医者になる勉強は続けたよ。なにしろ親は借金までしてるんだ。手一杯だったんだよ」
だけど、とエバンスは続けた。
煙草を地面にねじつけて、消した。すぐにエバンズの横顔を僅かに照らしていた光がなくなる。
「ある日俺の数少ないダチの一人が死んだ。すぐに理由をそいつの母親に聞いたら『殉職』したんだそうだ。ダチは陸軍少尉だった。任務中に足静脈を撃たれたんだと。戦場でそれを治療しようとしたが」
エバンスは足静脈を、人差し指で横一線した。
フィリップがギョッとしてそれを見る。
「結局ナイフでモルヒネも使わずに切開までされたのに……大量出血で死んだ。体中の血が抜けて、真っ白になってたらしい」
「…………」
フィリップはいつの間にか足の付け根にある足静脈部分を無意識に触っていた。
かける言葉も浮かばず、黙り込むしかなかった。
「それから俺はすぐに医大を退学した。泣いて止める親には何も言うことが出来なかった。一番心配していた父親は、さらに軍隊に入ると言ったら卒倒したよ……根っからの文民でな」
フッと小さく吹き出してエバンスは顔をフィリップに向けた。
「んで、俺は始めての任務に着いた。戦争ど真ん中だ。俺はなんとなくやらなくてはいけない気がして、母親に電話した。母親は故郷でも有名な肝の持ち主で、俺はガキの頃門限の時間に一時間は遅刻していつもひっぱたかれていた。」
エバンスは足をほおりだして、「煙草なんてばれたらどうなるか」と笑った。
フィリップはどう反応していいのか困りながらも、小さく笑う。
エバンスは笑いながら続けた。
「なんでかその思い出ばっかり頭に浮かんでしょうがなかった。俺はやりたくはなかったが、キャンプの端にある電話に恥を忘れて向かいあった。……そうやって電話したら母親は何て言ったと思う?」
エバンスは人差し指をフィリップに突き付けた。顔は笑っているから、なにか気のいいジョークか何かだろうか。
フィリップは素直にわからないと無言で答えた。
「『アンタ死ぬ気なの?』ってな。俺は面食らったよ。まさか、そんなはずないよ、って言ったら、『遺書みたいなセリフばっかり言ってるじゃない』だと」
そう言うとエバンスはガッとフィリップの肩を掴んで引き寄せた。
驚いたフィリップにエバンスは耳を寄せてささやいた。
「それで俺は気付いたんだよ」
フィリップには見ることが出来なかったが、肩を掴むエバンスの顔にはもう、笑顔は浮かんでなかった。
「『俺は死ぬ気なんだ』ってな」
「なぁ」
夕日が沈む前に話したいことがあった。
キャンプにやわらかく差し込むその夕日が無くなる前に、彼に何かを伝えたかった。
「あ?」
話し掛けるとエドワードは、不機嫌そうにリチャードから目を逸らして返事をした。
二人はキャンプの入口の左端と右端にそれなりの距離をとって、向かい合うように座っていた。
小さなボックスを椅子がわりにしたエドワードの横顔に、夕日が鮮やかなオレンジを射していた。
その顔は子供の頃から見慣れた『それ』そのもので、なぜかとても安心した。
「修理屋のバイト覚えてるか?」
「……ああ」
「ハイスクール卒業したらやること決まらなくてさ、電話帳開いて、適当に指差したところがそこだったんだよな」
ぼんやりとそんな下らない事を呟いていた。なにかもっと違う、重要なことを話したかったのに。
でもそれが何かはわかってはいなかったのだが。
「……ああ」
エドワードはまったく同じ返事をした。
「エドワードは整備が下手くそで、俺は運転が下手くそで、全然役に立たないでよく殴られたよな」
「……ああ」
「いつだったかエドワードが整備した車を俺が運転した時があったよな。……そうだ、あれは確かボスのお気に入りの車だったんだ。エドワードが整備してたら車が煙上げてさ、ボスがカンカンに怒り出して車を車庫に入れておけって怒鳴り散らしたんだ。それで俺がしょうがなく、車を車庫になおそうとして動かしたら――」
「お前はギヤを入れ間違えて今度はボスの新車に突っ込んだ」
エドワードは先程の不機嫌そうな顔を幾分か和らげていた。少し笑い、何も見ていなかったその目を久しぶりに動かした。
「そうだよ! あの時は笑ったよな……首になったけどさ。それで――」
「リチャード」
エドワードが反応したことに元気づいて、さらにまくし立てようとしたところでいきなり遮られた。
え、と呟いたリチャードにエドワードは厳しい顔を向けた。
「ここで止めておこうぜ」
そう言ってエドワードはまた目をどこにか向けてしまった。
「な……何でだよ」
リチャードは戸惑った。
声はおそらく、震えていた。
「……また、帰ってきてから話せばいい。……そうじゃないのか」
エドワードは何かを吐き出すように呟いていた。
既に夕日は沈みかけで、もう半端な明るさだけしか残っていなかった。
「リチャード。お前……朝からずっと思い出話ばっかして、何する気だよ。その話も、今朝話してた」
半端な夕日が僅かにエドワードの目元だけを照らしている。
リチャードはそれを見て、なぜかその目を恐れ出していた自分に気がついた。
さらに震える声を上げる。
「何って……」
「全部話したら、お前どうなるんだ。戦場にいったら、お前何する気だよ」
エドワードのその目は、いつの間にかリチャードを見ていた。
夕日は消えて、暗くなったその中にエドワードの双眼は、鈍く光っていた。
リチャードは口を開くことが出来なかった。
「リチャード」
双眼が細く、睨み付けるように深い光りを宿す。
「生きて、帰るんだ」
うなずくこともできず、答えることもできず、なぜ自らが兵士であるのかだけ、暗い世界に問い続けていた。
夕刻が終わりを告げた
そうして夜が来て、朝日が昇った。
兵士達の顔を、朝日が照らしす。
朝日は、これからの未来を示すように黒く無機質なそれを照らした。
照らされた、命を奪うためだけに作られたその『銃』という存在は
何も言わず、もう僅かな距離に迫った自らの出番を待っていた。
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