■
森下里奈。学生。朝は七時に起床、半に家を出て、40分かけて徒歩で学校へ登校。そのまま授業を受ける。午後二時半に授業終了。クラブ活動を開始。その後午後四時半クラブ終了、午後五時に帰宅開始……
『目標が帰宅行動を開始。撮影開始します。オーバー』
「…………」
『目標の位置、状況によっては、私の位置からの撮影が困難な時があります。その場合のサポートを任せます。オーバー』
「…………」
『オーバー』
「………………」
『オー、バー』
「……………………」
『おぉぉーばぁぁぁー!!!』
「のぉぉぉぉ!」
俺は無線機から響いた鹿のキンキン声に思わず耳を押さえた。鼓膜がヤバイ、朝から(ていうか夜中から)のアニメソングおかげで俺の鼓膜は完全にグロッキーになっていた。いつ破れてもおかしくない。ていうか
なんか引っ張られるような痛さなんですが。
つか、新感覚?
『おぉぉーばぁぁーアアア!!』
「わかった! 止めろ! オーバーだ! オーバー! 俺の鼓膜がイカれる! 鼓膜がオーバーだって! 限界! ちぎれちゃう! いつまで言ってんだ!」
彼女は無線機の向こう側、俺の上空、お隣りの木の上でフフンと笑った。上を見ると、実に楽しそうに……うわぁ、すっごいいたずらしてますって感じにニヤけてるよ。
『返事をすればいいんです。しっかり仕事をしてくれれば、私もパートナーとして鼻が高いんです。オーバー』
「お…おーばー」
俺は痛む鼓膜を押さえるように両手でやさしく包みながら(少し触れただけで崩壊するのではないかという恐怖)答えた。また、上で少し機嫌よさそうにフフンと笑ったらしかった。鹿め……
さて、いったいどういう状況か、説明しよう。
いや、正直したくない。しなくてよいというのなら、しないでおきたい。だって、この状況、ヤバすぎ。
俺たちはいま、盗撮しようとしています。
ああ、しかも、小学生を。
■ゴメンけど、ロリコン
俺はいま、小学校の隣にある雑木林の中に伏せの状態で待機している。その手にはカメラ、目にはミラーシェイド(サングラスみたいなもん)、怪しげな無線機を片手に、下校中の少女達をパシャパシャパシャパシャ、マジキワモノのカメラで取ろうとしている。
あ、このアングルいいね。いいよ、その笑顔最高! うわースパッツとか反則…… ああ! 体操服だ! ねらい目! うわー近頃の小学生って胸が大きい……パシャッと うわわ、ちょっと化粧とかして大人びてる……いいね、パシャ
と、つぶやきながら上で無差別にシャッターを切る女、ピンクのキャミソールはどこへやら、というかピンクのキャミソールで木の上に這い上がり、そこで身を伏せて俺以上にキワモノのカメラを持っているのはそう、
鹿だ。
『いい、最高です。これはいいですよ。気持ちが高潮します。ハイです。どうですか、撮ってる? 西神楽くん、西神楽くん?』
「……なあ、やばいってこれ。いくらなんでも直接的すぎんだろ」
『そんなことを言ってるから今だ初任給のままなんです。いい、これは任務なんだよ? 作戦なの。手段は選んでられないんです、オーバー』
そういいながら彼女はパシャパシャパシャパシャと切りに切りまくる。レンズが馬鹿でかい、まるで戦場カメラマンが持ち合わせているようなでかいカメラだ。フラッシュを焚いてないところがなんと言うか、『らしい』ていうか、その下の口が明らかにゆがんでいるのはなぜだろう。猫の口だ。3の形を右へ九十度倒した口だ。
「……なんでクリスマスでもないのにサンタは働くんだろうな」
『いまさら何言ってるんですか。国家公務員でしょ。年末だけ仕事してどうするんですか。頑張れば、いい事ありますよ』
お前、それ頑張ってるのと違う。と、俺は口にはしなかった。シャッターを切る奴の目は、明らかにマジだった。
三日前ほど前から目をつけていた娘、というのは小学生、『森下里奈』。彼女のサンタさんへのお願い事とはこうだ。
『同じクラスのユタカ君と仲良くなれますように』
いかにも小学生らしい、稚拙な感じのお願いごとだ。付き合えますように、とか襲撃が上手くいきますように、とか、具体的でいないところがさすがだ。大人になればなるほど、お願い事というのは具体的になる。三日前、そのようなお願い事を察知した俺は鹿にそのことを伝えてみた。
『いいです! それでいきましょう! 最高だよ。子供はいいね、汚れていないところがそそられますね! ですよね! 西神楽君』
朝からトチ狂ったかバカ鹿。
玄関先で伝えたことを激しく後悔した俺だが、もう遅い。下でおばちゃんが昔ながらの黒電話を手に取りながらダイヤルの@に指をかけていた。それがまわされたら、当然次に来る数字は@であり、その次は……
『…………』
ああ、まずい。
その時、オタクと逆の隣に住む美人大学生、御浜 幸枝さんがそこを通りがかり。
『おはよう』
何もいえない俺にニコリと笑顔で挨拶をし、その腰まで伸びた長髪を躍らせながら階段を下りていった。
ビバ、年上。
俺は決してロリコンでないことを主張するために、下のおばちゃんに声高らかにそう宣言した。
『まあ、もう七時じゃないの! 大変だわ』
おばちゃんの最後の番号は、Fを押していた。もっとも、中指は確実に0押さえていたが。
『年上、好きなんですか』
なぜか激しく俺を薄めで見つめてくる鹿を、逆に薄めで睨み返した。コイツ、色々やらかしすぎ。というか、鹿なのにロリコン? 発情期周期とか関係ないの?
『むう』
奴は膨れたらしかった。あ〜あ〜……
そんなこんなで色々その小学生について調べていたのだが、今日、突然鹿がわめき始めたのだ。
『本部に報告しないと。書類と、対象の写真が必要なんだけど……』
なんでも、サンタ国際協会、略称SANT(Santa・All・National・Team)なるものがあるらしく、誰かの願い事をかなえるためにはそこの認証を得る必要があるらしい。
『無理があるだろう』
俺は言った。
『なにがですか』
『SANTだよ。明らかに無理無理だろ。最後のチームってなんだよ。なんで国際機関なのにチームなんだ』
彼女はそれをやんわりと、自然に、確実に無視し、カメラをバックから取り出した。
『いいですか、今から彼女の写真を撮りに行きましょう。今すぐにです。さあ、これもって。ここからは茨の道ですよ。一歩踏み外したら、その先は死です。ここから先は上官の俺についてコイ』
彼女はブリッコしながら腕を見せ付けた。細い腕だった。呆れた。
『……上官、イラク行きましょうよ』
『サーをつけんか!』
彼女はニコニコしながら言った。
という感じでここまできたのだが、彼女は何を勘違いしたのか、小学校の近くの雑木林までその『アメリカ海兵隊訓練プログラム教官ごっこ』を続け
『いいか! ここから先は敵の陣地だ。頭を上げたら鉛弾が飛んでくると思え! テメエらアカデミー出たてのヒヨッコどもには地面にへばりつく姿がお似合いだ! さあ、匍匐(ほふく)前進をシロ!』
と俺をそのぬかるんだ地面へと突き飛ばしたのだ。冗談にも程がある。ていうか、頭おかしいだろコイツ。俺は怒鳴ろうとしたが
『どうした! 遅いぞヒヨッコども!』
俺の前を(たぶん)楽しげにスキップで進んでいく彼女を見て、その気も失せた。
その姿は相変わらず、『見た目は』可憐な少女だった。鼻歌など歌ったりして、ここがお花畑なら、まさにアバンチュールに来たカップルだ。
俺はこの後、彼女のこのキャミソール姿を何度も渇望することになる。何度も、何度も。
『あ、いた! いました! あの娘です! ベリショの女の子です! オーバー』
木の上でハワワエワワと騒ぎ立てる鹿は無線機片手に大声で叫ぶ。ていうか、この距離無線機いらないだろ。と思いつつも目前に迫って来るであろう危険を無線でハワワ(パシャパシャ)エワワ(パシャパシャ)と騒ぐ鹿に小声で器用に叫びかえす。
「わかったから静かにしろよ! こんなとこ警察に見つかったら確実に逮捕だぞ! オーバー」
上から『大丈夫です!』と言いながら、パシャパシャと鹿は写真を撮る。そして無線機のスイッチを入れていないことに気付き
『同じ公務員です。同じ穴のムジナなんです! オーバー』
「同じ穴のムジナに俺の部屋で捕まってたろお前。あの後どうなったんだ? オーバー」
ややあって
『……あ、あの少年はユタカ君だ!美少年です! 爽やか! スポーツ少年!! しかも、サッカーです!!』
「黙れっつーの!!」
神崎 ユタカ。学生。サッカークラブ所属。スーパー爽やか少年。家族は教育家族。クラブも終わったら塾直行。イチローに似てる。
「いいですね。可愛いだけじゃなくて爽やかだなんて、最高じゃないですか」
俺達はとりあえず一緒に帰るらしい小学生二人をつけることにした。校門前の電柱で張り込む。
「…………」
ちなみに俺の服も、鹿の服もよごれていない。よくわからないが、鹿のお陰だ。
(『魔法です』)
鹿はそう説明した。
(『人の願望がわかる世界ですよ? 鹿が人間になる時代ですよ? 魔法が無い方が不思議でしょ』)
いやいや。常識を逸脱してるって。
(『私も、西神楽君も既に逸脱してるよ。そこら辺ちゃんと理解してる?』)
その後、延々と魔法について語られたが、俺にはさっぱりの内容だった。わかったのは、言わばショボイ偶然を積み重ねて目的を叶えるようなもの、ということくらいか。
(『嘘だと思ってますね。いいです。今から魔法をかけますから! 見てて下さいよ! リ〜ルラ〜リ〜ルハ〜♪ 流〜れゆ〜く〜……』)
そう言って鹿は小学生二人と逆の方向へ走り去っていった。当然とめたが、無駄だった。ていうか、今の木村カエラだろ。まんまパクりやがった。アレ、魔法?
二、三分すぎた。
まったく何をしているのか、そうこうしている内に小学生二人は行ってしまう。あー……待ってくれ。このまま行かれると何のために平日の昼真っから変質者に成り果てていたのかわからない。
と、その時俺の視界に赤い塊が見えた。
タバタババタバタと暴れ狂いながらこちらに来る謎のけむくじゃら。
「…………」
何、アレ?
右へ左へ、フラフラしながら両手を上げたり下げたり、顔をブルンブルンと振り回したり横振りしたり
「もう一度言おう」
何、アレ?
そしてけむくじゃらは俺の鼻先まで来ると、そのプラスチックでできた無機質な目で俺を覗き込んで来た。そしてくぐもった声で言う。
「さぁ! お嬢さん方を尾行しますゾ!」
「……………………………………………」
ムックだった。ポンキッキーズの
「……………………」
俺はくわえていた煙草を手に戻し、肺にたまった煙をゆっくりと吐いた。
「……………………」
「尾行しますゾ」
「……………………」
「尾行しますゾ」
「……………………」
「びこ――」
「鹿」
お前もう帰れ。
|