■ゴメンけど、マゾヒスト
『ゴメンね、真理ちゃん。用意するのに時間かかっちゃって』
『あ、ううん。いいよ、あたしも無理に誘っちゃってゴメンね。ユタカ君』
『ううん、真理ちゃんが謝ることないよ……』
『あ、そ…そうかな……』
『う、うん』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『よし君のバカ! その女の人だれよ!』
『あ、いや、違うんだ朱美……この娘は僕のお姉さんで……』
『あたしはあなたの姉になったつもりないんだけど? 朱美さん、あなたこそ誰かしら?』
『朱美って言ってるのわかんない? あんた誰っつってんだよ!』
『あたしは唯だけど? 悪いけど、よし君にはあなたみたいな軽そうな女あわないと思うけど?』
『はぁ? ふざけんじゃないわよ!』
『ちょっ、まてよ朱美! 殴っちゃダメだって!』
『はぁ!? 元はといえばアンタが……』
『うげ!……ぐげほ……』
ガチャ
じーじーじーじー
ガチャ
『ゴメンね真理ちゃ……』
「…………」
「あ、どうですか? 盗聴記録で何かわかりました?」
鹿は風呂上がりでバスタオルを体にまいて、さっぱりした感じで現れた。俺はそれから目をそらし、テープレコーダーの『停止』を押した。ついでに耳からヘッドホンをはずす。
「……強いて言うならお前は後半まったく違う事を考えていた、ということかな。ていうか、バカだろ。お前。あと、服を着ろ」
鹿は小首を傾げた。
「でもスゴイファイトだったんですよ? 朱美さんなんて、途中から警察相手にジャンプバックのハイキック決めたんですよ」
「ああ、そう……ってバカ、やらんでいい! うわ、マジでダメだって! ……うわっ……うわぁ……」
時間は八時を回ったくらいか、小学生はしっかり家路につき、俺たちも既にそれに習って家に帰っていた。いや、正確には
(『任せてください! しっかり尾行しますぞ!』)
と言う鹿(ムック)の言う事を信じて俺が先に帰っていたのだ。……しょうがないだろ、いや、だってムック(鹿)と歩くのとかダメだろ。感覚的に。しかもまっすぐ歩けないとかで、横歩きしてくる。まともじゃない。
帰ってきたときはしっかりとキャミソール(なぜか汚れてなかった……魔法?)を着ていたので、おそらくは不審者尋問などはされていなと思うが……。小学生をつけ回している時点で怪しさ100%か。
鹿はその朱美さんとか言う人(絶対小学生とは関係ないのだろう)のことが忘れられないらしく、帰ってからもずっとその話をしていた。無理やり風呂に入れたのは俺だ。あまりにうるさかったし。何よりキャミはいいとして体じゅうドロだらけだったのだ。
いったい何があったのかはわからないが。
「私もやろうかなぁ……カポエラ」
「そんなマニアックなもんに手をだすな」
楽しそうに鹿は笑った。シュッとか言ってる。それ、ボクシングなんだけど。
「早く着替えろよ」
「ああ、はいはい。シャツはどこかな……」
そのままさっさと俺の背後で着替える気らしい。あー……やめて欲しい。がさがさ音が聞こえるんだよ、着替える音だけってのがかなりいやなんだけど。
そんなことはお構いなしに、背後から少し気落ちした感じで鹿が話しかけて来る。
「結局無駄足でしたね、朝から盗撮したりして、なんだかバカみたいです」
「……ああ、主にお前がな」
「えー? なんでですか?」
呆れた。
「聞くのかよ」
あーしかしどうするかな。このままじゃ願い事なんか叶えてる場合じゃねぇぞ……(主に鹿のせいで)どうすればいいのか検討もつかない。ユウジ君? だっけ? あの子の好みすらわからないなんて、これは重症だな。
俺は「面倒臭いなぁ」と言いながらビールのプルトップを空けた。キャカリッ! と小気味のいい音を立ててビールのふたが開く。おお、旨そう。やっぱ二十歳越してよかったことは堂々と酒が飲めることだよな……
「あ、私も飲みます!」
後ろから鹿が手を伸ばしてきた。うわわ、奪われる。
俺は高校時代に身に着けたボクシングの技術を生かして、とおっ、てやッと避けてやった。
「うっさい、未成年。コイツは俺の獲物だ」
鹿はあきらめると、ブーと不満げに頬を膨らませたらしかった。
「へーん。そんな麦芽を醗酵させた『苦汁』飲みたくないですよ!」
勝手な奴め……ていうか、『苦汁』って……なんかまずく感じてきた。
「ていうか、もう着替えたか? 振り向いていい?」
遊んでいたが、そろそろ着替え終わっていい頃だ。鹿はトロいが、着替えは早い。しかも音もさせない。なぜかはよくわからないが。
「あ、はい。いいですよ」
鹿の声を聞いて、俺は振り返りながらビールを一気に口の中に流し込んだ。まぁいいや。飲んで忘れよう。うん。それが得策だ。
「あ、そぉだ。アイスクリーム食べますゾ」
吹いた。
「うわわ! 何してるんですか! 子供みたいに吹き出して……ゾ」
振り返ったそこにいたのは鹿ではなく……いや、鹿なんだけど……赤いし、モジャモジャ。
「ムックは返してこい」
「ゾ?」
鹿、もといムックは相変わらずの無機質な目で俺を覗き込んできた。なんだ、この切迫感は。くそう、高校時代のボクシングで身につけた俺の戦闘本能が……
ていうか
「なんでまだ持ってんだ! 捨てろ!」
「ゾ」
ムックは「やれやれ」といった感じで肩をすくめた。もちろん手もつけて。
「『ゾ』をやめろ! 『うん』か『ううん』かの差がわかんねぇんだよ!」
「ゾ〜わかってないですね。こういう動物語尾が男心をそそるんですよゾ」
「ムックは動物じゃねぇよ……あれ中に人入ってんだぞ。 完全にホモサピエンスだろ。つかムックの語尾使われると男心逆なでなんだよ」
「わかってないです。西神楽君は『男心』の掴み方をしらないです。ゾ」
「うるせえよ。『ゾ』の使い方間違ってるしよ」
ムックは楽しそうに片手を上げてくるくる回った。そのプラスチックの無機質な目が素敵に不気味。
「ゾ〜ゾ〜♪ ゾ〜ゾ〜♪(お〜れ〜♪お〜れ〜♪)」
…………
「ゾゾゾンゾ〜ゾ〜ゾ〜♪(マツ〇ンサンバ〜♪)」
…………
「ゾ〜ゾ〜♪ ゾ〜ゾ〜♪(お〜れ〜♪お〜れ〜♪)」
…………
「ゾゾゾンゾ――」
「鹿」
「ゾ?」
ぶん殴りますゾ?
「いや、あのな、鹿」
「はい……」
涙をいっぱい貯めて鹿は俺を見た。俺はうっと息を詰める。いやいや、落ち着いて……煙草を揉み消す。
「お前、ちょいちょいウザいときがあるから、いや、なんつーか……嫌いじゃないんだ、嫌いじゃ」
「はい……」
いや、ちょっとビール缶で、すれ違いざま小突いただけだったのだがいきなり泣き出してしまったわけで。うー、イライラはしてたけど
うわぁ……泣かれるのって苦手……
そうこうしている間にも彼女はまた目にいっぱい涙を貯めて……
「うわ、待てって泣くなよ……ほら、これ飲んでいいから……」
「……うん」
あぁ、いいのだろうか、国家公務員の(ありえないけど)未成年が酒を飲んで。いや、しかし誰も見てないし、なによりこうでもしないと泣き止みそうにない。
「いただきます……」
鹿は泣きながら缶ビールに手をかけた。
時刻午前二時。
ヤバイ、目が、まぶたが重てえ……ああ、もう俺はだめだ。ドリームの妖精さん、いざ、俺を夢の世界へいざな……
グリ
「……きいてますか? 『良雄』さん」
「…………」
まぶたを思いっきりねじ上げられていた。イタタタタ……指を突っ込むんじゃない。やめろ、止めろっつーの!
と言いたいが、なんだかそんな雰囲気じゃない。
「この地球上において、人にとって必要なことなどほとんどないのれす。しかしながりゃ私たちがあると感じていりゅのは、鬱鬱としひゃ物質への欲望、渇望。いわば私達は物質への欲の為にしんきゃを続けているのれす……わかりまひゅか?」
俺はまぶたを持ち上げられたままウンウンとうなずいた。
「…………」
「この世界はマテリアル(物質)社会なのれす。いいれすか? 確かに私達わしんきゃによって物質に頼ることはなくなりぃますた」
「…………」
「ちょっと! 聞いてるんれすか!? 」
まぶたをブンブン振り回された。
「うぎゃあッ! 何しやがるッこの……」
「………………………」
「…………いや、別に……」
目が据わってやがる。もう、なんだコイツ。
すでに机の上には十数本の空き缶が転がっていた。これはつまるところ、なかなか泣き止まなかったので、俺が飲ませてしまったのだ。ついつい飲ませすぎてしまった。
「……………」
眼(ガン)くれてやがる。
……やばいだろ。マジで飲み過ぎじゃないのか、これは。
(『うぐ……そんな、怒るとか…思わなくて、いつも……そうなんです……いっつも自分勝手に騒いで、誰か怒らせてしまうんです』)
うんうん。そうだろうな。『よく』わかる。うん。
(『……『よく』わかるんですか?』)
うるうるさせて上目使い。
まぁ、うん。
(『うぐ……うぇっぐ……うぇぇぇぇん』)
泣くのかよ……
まぁ、いいから飲めよ。今日はおごるから(缶ビールで割り勘というのもよくわからないし)のめるだけ飲めば忘れるって。
(『……うん』)
という状態から
「言わびゃ、アインシュタインの訴えた『相対性理論』わぁ、現代の世界を抽象的に、明確に捕えているのでしゅ。つまりぃ、『欲望』が満たされるぎゃためにゅ、反対では『欲望の搾取に対しゅる欲望』が生まれるわけでありましゅる……」
「…………」
まぁ、飲むと人間おかしくなるものだから、元からおかしい人間(いや、鹿)は
「う〜……アインシュタイン……」
クソ真面目になりました。というオチなのだろう。多分。大分ねじくれた真面目だが。
「あのですね」
鹿は俺のまぶたから手を離し(おお、なんかまぶたヤバイかも)狭い部屋を大幅に占拠するテーブルに突っ伏した。ブルブルと首を振る。
「やめろよ……酔いがまわんだろ?」
だんだんそれが楽しくなってきたのか、ブンブン振り回し始める。
「アハハハ……ハハハ……ハハ」
そしてそのまま撃沈。気持ち悪い、と少し涙声。なにやってんだか……。
鹿はそのまま、タバコをつまんでいた俺の腕を握った。
「……あのですね」
「……なに?」
「……最後に必要なのは、愛している人や感情なんれす。好きな人がいれば、幸せなんれす。物質欲なんて、キリがないんです」
「……あぁ、そう」
「……西神楽くん」
お、久しぶりに聞いたな、それ。
鹿は突っ伏したまま、にへら、と笑った。
「……私、今幸せだから」
…………
「……あぁ」
そう。俺は一切幸せではないがな。とは言わんよ。
「うぅ……ぐぅ……うぇぇぇぇん」
…………。またかよ……忙しい奴だな。コイツは
「ムックはそんなにダメですか!? 赤いけむくじゃらの何がいけないんですか!?」
その話に戻すのか。
「……しらねぇよ、生理的なモンだよ」
「そんなの、良雄の勝手な身体的特徴でしょ!?」
うぉい、呼び捨てかよ。
「わかりますた……勝負しましょう。それでいいと言う人は手を上げて」
ぎろり、と鹿は周りを見回した。……いや、そこらへんには何もないですよ。あるのは畳と、あとは酔っ払った鹿ぐらいですが。
…………ラリ?
とは言わないが。鹿は自分一人手を上げて周りを見回していた。
「よし。下半身が一線を超えましたね」
…………?
下半身→×→過半数
一線を超える→×→(過半数を)超える
「良雄、勝負です」
鹿は赤くなったほほを押し付けるようにして俺を睨んできた。……別に怖くないけど。
「…………どうやって」
鹿はふふふ、と不敵に笑った。あごに手を置いて、なにそれ? 探偵ごっこ?
そして鹿はガッと俺の肩に手を置いた。笑顔で言い放つ。
「私を縛ってくだせい!」
「…………」
やはり、飲み過ぎだろう。俺はビールを片付ける。
「亀甲でもなんでも縛るがいいでしゅ。それでも私がムックに辿り着く事ができれば、私とムックの絆は確かなものになるのれす!」
握りこぶしを作る鹿。
「勝手にやれ」
「しゃあ!(さあ)」
「俺はそんなアブノーマルな方面に興味ねぇんだよ」
「しゃあ!!」
…………コイツ
「しゃあ!! しゃあ!! しゃあ!!」
俺の肩を掴み寄せ、鼻先が触れ合う程に……ていうか鼻を押し付けてきやがったぞ。うわ、イテテテ、って、うわぁ唇のほうがヤバイ! マジで止めてくれ! うわっ、うわっ!!
「しゃあ!!」
奴の目はマジだった。
というわけで縛ってみる。まぁ、マニアックなのはわからないから、手足を縛るくらいで。
「…………」
ガタゴト(鹿)
…………(俺)
「…………」
ガチャゴチョ
…………
「…………」
ゴリゴリ
…………
「…………」
じたばた
…………
「…………」
じたばた
…………
「…………」
じた……
…………
「…………」
…………
「…………」
じたば……
じた……
「に…西神楽殿……」
――と、といて下され……
……………………………
そろそろ三時を回る頃に、変態がいます。
あぁ、誰か助けてください。
変態です。たぶん、マゾ。
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