■4
「……どうしたの? 私の顔になにかついてる?」
どうやらいつの間にか先輩の顔を見続けていたらしい。先輩は今時ドラマでもやらないような古典的な反応で俺を見つめ返していた。あわてて目をそらす。あの目には魔力がある。たぶん。昨日のことといい、なんというか……目で喰われそうな(失敬)気がする。
沈みかけの夕日に目をずらして適当なことをでっち上げた。
「……別に。風、気持ちいいなと思って」
「あーそうだね……やっぱり屋上っていいね。想クンと友達でよかったよ」
夕日が沈みかける校舎の屋上で、俺たちは手すりに寄りかかってその日が沈むのを待っている。
なんでも「日が沈むのは世紀末を人間に予感させて、普段思っていてもできないようなことができるようになる」んだそうで、職員室から下駄箱に向かう帰りにそう論じられて先輩に引っ張られた。要するに夕日をいい場所で見たかったらしい。
屋上は普段締め切っていて生徒は入れないのだが、俺は二年越しの友達と組んでこっそり合鍵を作ったのだ。おかげで俺は屋上に自由に出入りでき、タバコを吸うのにも苦労しない。先輩と(むりやりながら)夕日を見るのにも。
「……ふー……」
肺にためた空気を外に吐き出すと、紫煙がふらつきながらオレンジ色の空に昇っていった。俺の手にはタバコが挟まれている。なんてことない。ちょっとした高校生の背伸び大会みたいなものだ。
先輩が夕日によってオレンジ色に映えた頬を緩ませて、手すりにひじをつきながら俺を横目で見る。ニヘラ、と笑うと満足そうにうなずいた。
「……なんすか?」
「いや……タバコ吸ってるのってさ、想クンの彼女に言ったら大変なことになるんだよね?」
「……まぁ」
いや、先輩とこんな感じのことをしておきながら言うのは気が引けるが、俺には一つ下の後輩の彼女がいる。この彼女は酷くまじめな性格で……
まぁ、とにかく嫌煙家なのだ。つまりぷかぷか吹かしてるのなんてばれたらかなり怒られる。ちょっと怖い女の子なのだ。
先輩はその子のことを想像しているのかニヤニヤニヤニヤしっぱなしだ。
「アハハハ……きっと顔真っ赤にして怒るよ。『先輩! 約束したのに!』って」
なんとなくその姿を想像した。うわっ……リアルぅ……。俺は胸を抑えてよろける。
「うおぉ……心にくる……」
「そう思うならやめればいいのに……タバコ、体によくないよ」
「いいんですよ……」
その後に続きそうになる言葉に、俺は一瞬息を詰まらせた。
「ん? どうしたの?」
「いえ、別に」
先輩は少しの間だけ笑わずに俺を見てくれていたが、俺が気恥ずかしさに目を合わせられないでいると、しょうがないといった感じで目を正面にずらした。
『別に、死んだって誰も悲しみません』
言ったところでなんとなるというわけでもない。でも、俺はその言葉が出なかった。
「彼女とさ、こういうこと話すの? 自分のこととか、今日あったこととか」
先輩は俺の気がめいったのに気がついたのか、話題を変えるために妙に心に引っかかるようなことを言う。
「……あ〜……ていうか、最近会ってません」
先輩はむって感じに眉を寄せた。
「ダメだよ、そんなんじゃ。嫌われちゃうよ〜女の子って、結構どうでもいいこととかで冷めちゃうんだから」
「はぁ……、まぁ、そうなんでしょうね」
「ダメね、男は。特に頼りない学生の彼氏なんて私嫌だな」
「…………」
なんとも答えようが無い。実際頼りがいが無いのは自分で実感がある。悲しいほどに俺は頼りない。他人なんかより自分を優先するような、利己的で頭の悪い人間なのだ。
ぼんやりとそんなことを考えていると先輩が突然手すりから身を乗り出した。人差し指を突き出す。
「ちょ、あぶね――」
「あ! ねえ、あれ噂の彼女じゃない?」
え? と先輩の指すほうを見ると……なるほど、確かにいる。俺の彼女が。
肩までのショートカットの髪、大きなアーモンド形の目、多少つり上がってる眉、そういうのを見ているとなんであいつが俺の彼女かわからなくなる。俺は確か清純な可愛い子が好きだったはずだが……アイツは明らかに清純ではないし、どちらかと言うとバイオレンスな雰囲気がある。要は怖い。
あいかわらずなんだか怖い目で遊んでいる男子生徒を見ている……何が気に喰わないんだろか。そういうところもよくわからない。
「う〜ん……美人ねえ。なんで想クンなんかに惚れたのかしら。ほかにもっといい男の子いるのに」
「……そういうの本人のいないところでやってもらえません?」
先輩はクスクスと笑った。俺は笑わない。仏頂面ってのは今の俺を指す。
先輩は俺を無視して「あれあれ」と無遠慮に校庭で立っている彼女を指した。
「見てよ、フタエのところとか……美人要素詰め込めるだけ詰めましたって感じ。ちっちゃいのがなんだけど」
タバコを咥えて校庭に背をむけた俺はめんどくささに任せて紫煙を吐き出した……バカにしてる。
「そういうのがいいって奴もいるんじゃないですか」
一瞬沈黙があった。
なんだ? と思って横を見ると、先輩が頬を引きつらせている。
「……まさか……想君……ロリコ――」
俺は盛大にタバコを噴いた。ぶっはとタバコが飛んでいく。
「俺は違いますよ! どうしてそういう発想が出るんですか!」
「いや、だってさ……」
「だってじゃないですよ……あぁもういいですよ。俺、帰ります」
俺はタバコをもう一本新しく取り出すとジッポで火をつけて歩き出した。付き合ってられない。なんだか最近はまともな会話をしていない気がする。政治とか戦争とか倫理観とかはどこいったんだ? 今時の奴は物事にすぐ飽きるんだからよ、まったく……
「あ、空ちゃんこっち見てる」
ぶっは
自分の彼女の名が出された途端に、頭の中にはエマージェンシーの警報が高らかに鳴る。俺はつけた瞬間に吐いたタバコを足でねじ消しながらダッシュで手すりに駆け寄った。ちょっと中腰になりながら先輩の後ろにつくと自分の姿が校庭から見えないように隠れる。しかし短いスカートのせいで俺の体は微妙に隠れない。チクショ、なんでアンタこんなときばっか普通の高校生とおんなじ価値観なんだ!
「ちょ、ちょっと止めてよ……空ちゃんこっち見てるからもうばれてるって」
「先輩スカート長くしてよ! 俺隠れきれないって!」
「もうばれてるって言ってるのに。バッチし見てたよ。想クンがタバコ取り出すとこも、ジッポ出すとこも、タバコ咥えるトコも」
「うああぁあぁぁぁぁぁぁああ……!!」
俺が彼女を恐れるのを大げさに感じる奴もいるだろう。この姿をクラスの奴らに見せたら半分は呆れる。
でも違うのだ。
俺の彼女は違う。
「あ、見てる見てる。すっごい見てるよ。あたしの後ろに隠れてるのわかるんだね……アハハ、怒ってる」
「笑い事じゃないですよ!」
「あ、走ってきた」
俺はその言葉で猛然と走り出した。屋上の隅のポンプだかなんだかの陰に隠れる。一応顔をだし
「チクショ! 俺は別に怖くないんですからね! 一時的な戦略的撤退ですから!」
ささっと先輩に説明するとすぐさま隠れる。先輩は……おいおい、クスクス笑いに留めろよ、ゲラゲラ笑ったらあんたの印象変わっちまうよ。
と、辺りにバタバタというスリッパが地面を叩く音が聞こえた。
(来……来たか……)
早い。むちゃくちゃ早い。水泳部所属の彼女は、水中でシャチなら陸ではチーター。とくに獲物を見つけたときは早い。
バンッとドアが開けられる音がした。しまった。かぎ閉め忘れたか……!
「フー先輩……」
なんだかどすの利いた声が聞こえる。すげえやばい気がする。なんだかいつも以上じゃないかこれは。
「はい」
見えないけど先輩の顔はニコニコなんだろう。こういうとき風香先輩という存在は落ち着き払う。なんというか、その辺りが他人とは違うところなんだろう。
どすの利いた声が再度屋上の空気を震わせた。
「どこですか」
「はい」
「ど こ で す か」
「何がですか」
一瞬の沈黙。辺りに緊張が走る。
「先輩です」
「はい。ここにいますよ」
「そ う せ ん ぱ い」
……なんだかやり取りがヤバイ。明らかに先輩は彼女を挑発してる。つか、普段ニコニコニコニコして何にもしないあの人は何でこういうときだけ頑張るんだ!? 先輩としてあいつをここから離れさせろよ!
と、思いつつ少し顔を出す。先輩何してんだよ……
「想クンがどこにいるか聞きたいの?」
「ええ」
「そこ」
うをおい!
突っ込む余裕も無いほど、あっさりと先輩は白状した。楽しそうに微笑みながら人差し指を俺に向ける。顔を出していた俺は彼女……空とばっちり目が合う。
むぅと言う顔をして、なんだか半泣きの彼女は俺を見つけるとグッと俺を睨んだ。うっ……
空の眼力に負けて視線を先輩にずらすと、彼女はクスクスと笑いをこらえている。
「なんで言うんだよ!」
思わず笑っている先輩に突っ込む。いや、あの人おかしいだろ! どう考えたって今のところは「降りていったよ」とか「逃げた」とか言って、空をどっかにやって俺を逃がすのが……
その瞬間、俺の横を信じられないほど重い、黒い塊が飛んでいった。
え、という暇もなくそれにつられた空気が引き裂かれて俺の耳の鼓膜を揺らす。
「…………」
言葉を無くして固まる。前を見ると、空がピッチャーのごとくナイスフォーム。投げ終わった姿勢で俺を見ていた。後ろでガシャァンッという騒々しい音が不気味なほど静かに響く。
「うわぁ!? 何だ! 椅子が落ちてきたぞ!?」
「…………」
遠くからの声に、血の気が引くのがわかった。まさか、投げたのか、椅子を
「フフ……おもしろーい」
「面白くありません」
口に手を当てて優雅に笑う先輩は俺の言葉に「そう?」とつぶやく。
「空……マジで今のは死んでたぞ」
「最低ですね」
俺の言葉はどうも空には通じなかったらしい。空はじっと俺を睨んで、地面を指差す。そこには俺が足でねじったタバコが、乾ききったコンクリートの地面に無残な姿をさらしていた。
「お前もこんな姿にしてやろうか……」
「先輩、あんたちょっと引っ込んでてくれ」
空の後ろで声色を真似て、面白くも無い冗句をさらす先輩に一瞥をさらすと、先輩は笑いを隠そうと必死になって口元を押さえていた。何がしたいんだこの人は。
空はそんな俺たちのやり取りを見ないで、じっと俺を睨む。
「あ〜……いや、禁煙は続けてたんだけどさ、どうにも手が出ちゃって」
「言い訳はいいです、約束、忘れたんですか」
「いや、忘れてないよ。忘れてないからこうして隠れながら……」
ざっと空は一歩俺に近づく。
「……禁煙の努力をしてたんだ。そう、そうだよ! これはいわば俺の努力の結果なんだって!」
空は俺を見ると、フッと力を抜いた。お、よかった。許してくれるのか?
そして少しだけ笑う……なんだか怖い……ギュッと右手を握り締めた。
「あと少しで殴りそうです。黙ってもらえますか?」
「…………」
「まぁまぁ」
ふと、黙り込んだ俺を哀れに思ったのか先輩が手すりから離れて俺に助け舟を出す。
「タバコをやめられないのは想クンのせいじゃないよ。タバコってそういうものでしょ? やめられなくなっちゃうってやつ」
「……そういう問題じゃありません。想先輩は」
じっと空は俺を睨み
「私を裏切ったんですよ。付き合って……その……は、初めての約束を……」
なんだかドギマギしながら呟く。初めてとか……そういうの気にするのか。意外とロマンチストって言うか、なんと言うか……
「あぁ、今その話してたんだよ。空ちゃんは想にはもったいないって」
先輩は「ね」と俺に話を振る。うんうんと首を激しく上下させるが……空の眉根はその話とは関係のないところで寄せられた。
「……フー先輩は、なんで想先輩と一緒にいるんですか」
その核心をつく質問に先輩は少し動きを止める。体を硬直させて一瞬思考し
「夕日を二人で見ようかな……って」
(なんでアンタもっと良い言い訳を思いつかないんだ!?)
という俺の心の叫びはもう後の祭り。空は先輩を見る。先輩は「うあぁ……」とか呟きながらちょっと泣きそうになった。なんだか怒られたハムスターみたいに縮こまる。そんなやばいのか。
と思ってたら今度は俺に空の視線が向く。
「うあぁ……」
これは泣くな……。
冷徹な表情でさげすむように(実際さげすんでいるのだろう)俺を見る。グッと俺に顔を近づけると、一言一言かみ締めるように呟いた。
「想先輩……最低ですね」
「はぁ……」
「最低です。約束は破るし、見境はないし……」
「甲斐性もないしね……」
ぼそりと呟く先輩を俺はシッシッと追い払う。
「引っ込んで」
「何でですか? どうして約束事くらい守れないですか?」
俺はその質問に少し空の目を見て、そぉっと手を自分の胸にもっていき
「…………」
空の視線に負けてその手をそぉっと元に戻した。そして考える。どうして俺は約束を守らなかったのだろう。
「いや、特に理由はないんだけどさ……」
はは……と乾いた笑いを誘う俺の冗談とも取れる言葉にも彼女は
「そんな学校サボったときの言い訳みたいなの、通じるわけ無いでしょ」
と一喝した。
空はじっと俺を睨む。
「本当に、先輩のことは理解できません。おかしいんじゃないですか? いい加減なことばかりして、このあいだの由真ちゃんの告別式の時だって先輩だけ遅刻して……人が死んだっていうのに、そんなときにも先輩は――」
「ま、許してあげなよ」
笑いながら、先輩が落ち着いた声で言った。その声に空は少しだけ眉を寄せて、風香先輩を見る。
風香先輩は、手すりに座って、綺麗にオレンジ色に染まった空を見上げていた。
「私ね、夕方って好きなの。ほら、なんだか半端者じゃない? 昼でも夜でもない、真ん中って、ちょうどいいってことじゃなくて、きっと半端者って言う意味だと思うの」
風が通り過ぎると、先輩の髪はさらさら揺れた。暑かった昼間を、さわやかに冷ましていく涼やかな風。それがすぅーと吹く。揺れる髪は、まるで風に揺れる綺麗なカーテンみたいで、自分の気持ちが涼やかに冷やされるのがわかった。
先輩は楽しそうに微笑んだ。さっきまでの声を上げる笑いとは違う。ふと、次の瞬間にはまったく違うものに変わってしまうような、そんな不安定で不思議な微笑だ。
「想クンってさ、ホント半端者じゃない? 嫌なことがあっても、いいことがあっても、想クン自身は何も変われない。ずぅとおんなじ想クン。強いわけでも、弱いわけでもない、それに、普通でもない。どんなって言われても決めることができないような、そんな子」
「……まるで想先輩のことなら何でも知ってるって感じですね」
空は俺に目を向けると、眉をさらにひそめた。
「確かに半端者です。いっつもふわふわふわふわ……なんでしっかり約束もできないんですか」
「……スミマセン」
頭を下げる俺に空はやっぱり冷ややかだった。じぃーと俺を見る。俺はもうたじたじだ。うぅ……
「じゃあさ、空ちゃん」
風香先輩はそんな俺も、空もどちらも見ていなかった
「夕方ってなんであると思う? そんな半端者の夕方が存在していい理由ってさ、なんだと思う?」
空はその質問にむって感じにアゴに手をやると
「……別に、理由なんてありませんよ。そこにあるから、あるんです」
とみもふたも無いことを言う。もっとマシなこと言えないのかお前……
「そうかもね。ううん。きっとそうなんだよ」
でもそんな意見にも先輩はうんうん頷いた。
「そこにあるからある。存在することを選ぶことは、誰にもできないもんね……でもね、私は思うの。夕方って、朝があって、夜があるから、そこにいるんだと思うの」
風香先輩はぴょんと手すりから飛び降りると、「えいっ」と大きく手を空に広げた。
「私ね、夕方って大好き。だって、綺麗じゃない? 自分では選べなかったし、いつの間にかそこにいることになっちゃたけど、夕焼けって綺麗。自分で得たわけじゃないし、自分でそうありたいと思ったわけでもないけど、綺麗なの。だから夕方ってあるんだと思うよ」
風香先輩はいつの間にか笑うことをやめていた。ただ、淡々と空に手を広げて、かき集めて、それを自分の胸の中にしまう。そんなパントマイムみたいな行為を繰り返していた。
どんな意味があるのかはわからなかったが、それをしている先輩は妙に……妙に悲しげだ。母親の服の端っこを握って、それだけを頼りに家族という存在を見つけようとしている子供のように。
「嫌なことだらけのこの世界で、たった一つだけ自分のいいところを見つけた。だからそれだけを頼りに、彼はここにいるんだとしたら……私達に彼を『半端者』呼ばわりする権利って、あるかしら……?」
俺はぼんやりと先輩がくの字になりながら「ね?」と言っているのを見ていたが、それが空に対してのものだと気がつき、ハッとした。空を見る。
「……そういうの、わかりません」
空は少しだけ頬を赤らめながら……もしかしたら夕焼けを反射させていただけかもしれないが……呟いた。
「でももし、『夕方』が想先輩だとしたら、それは間違いです」
空は俺を指差す。
「想先輩はたくさんいいいことを知ってます。第一、友達もいるし……その……彼女もいますし……」
空は尻すぼみになるセリフにハッとして、ブンブン顔を振った。
「とにかく! 想先輩はそんな健気な人じゃありませんから! もっともっといいことをって言いながら自分の好きなことばっかりしてるだけです。何でもかんでも想先輩のことを肯定しないで下さい。……想先輩のことは、私にだってわかってます」
「そう……でも、今日は許してあげなよ」
空はしばらく俺を見つめると、フンっと背を向けた。
「タバコ、捨ててくださいよ」
「あー……」
「…………」
一瞬空は俺に振り返ろうとして
「捨てます捨てます」
俺はあわててタバコを柵の向こう側に投げた。あぁ……マルボロ……
「……それじゃあ、私は帰りますから」
それを確認すると空は階段へと向かっていった。
「想クンと一緒に帰ってあげないの?」
その背中に風香先輩は余計なことを言う。あんた、考えて物言ってるのか?
空は立ち止まり、先輩に向き直る。顔は妙に真面目くさってて……それでいて夕焼けのオレンジ色が彼女の頬を染めていた。
「……私、想先輩の彼女です」
「……はい」
「彼氏彼女なら、離れてたって平気なんです。いつも会わなくちゃいけないとか、そんなのないですから」
そう言うと、空は階段へ向かい、「さようなら」と降りていった。
「可愛い子ね」
風香先輩は俺を見て言った。おれはばつが悪くなりながらも
「……ありがとうございます。助かりました」
と呟いた。風香先輩は笑う。
「思った事言っただけだから……それに、ちょっと面白かったしね」
「カンベンしてくださいよ……あ、そだ」
俺はあわてて階段へ向かう
「あ、やっぱり彼女は心配?」
手すりにもたれながら言う先輩に俺は怒鳴って返した
「タバコ! あれ最後の一箱なんです!」
階段を駆け下りている俺にはもう、先輩の顔は見えなかった。間違いなく呆れてると思うが。ただ「校門でまっててよ、一緒に帰ろ」というのはしっかり聞いた。
俺はそれに、「はい!」と答えた。
いつもどおり。
想が駆け下りていく階段の音を聞きながら、風香はしばらく笑っていた。一人になった屋上は一気に物悲しくなり、遠くに聞こえる吹奏楽部の奏でる曲も、なんだかセンチメタルになるためにわざわざ用意されているかのようだった。
そこに、かんかんという音が響く。
そして、現れた一人の男に、彼女はまたも微笑んだ。
男は風香の姿を認めると切らせていた息を整える……イラつきながら。
「……こんな所にいたのかよ」
「うん。後輩君がね、夕日見せてくれるって言うから……これから一緒に帰る約束もしちゃった」
現実は少し違うのだが、風香はそれについては気にしない。制服姿の男に近寄ると、少しだけ背の高いその男に合わせるように、背伸びをした。
男は風香の「後輩君」と「夕日」に反応して、眉を寄せた。睨むように風香を見る。
「お前……やめろよ、俺がいるのに、なんでそんな奴と……」
そう、文句をつけようとした男の唇を風香はすっと奪った。
ゆっくりと唇を離しながら、驚く男の目を見つめると、風香はくすりと笑った。
「ライバルがいたほうが、燃えるでしょ?」
男はしばらく風香を見つめていたが、呆れたようにため息をついた。
「つきあってられねえよ」
「付き合ってるじゃない? 何言ってるの」
くすくす笑う風香に、今度は男がキスをするために動いた。
夕焼けの屋上で、影が二つ、重なった。
あぁ、俺は何をしてんのかな。と走りながら思う。
走って走って、その先にあるのがたった一つのタバコの箱だと思うと、まさに俺の人生にうってつけじゃねえかと笑う。そして、また何をしているのだろうと思う。
さっき先輩に言われた。
――想クンってさ、ホント半端者じゃない? 嫌なことがあっても、いいことがあっても、想クン自身は何も変われない。ずぅとおんなじ想クン。強いわけでも、弱いわけでもない、それに、普通でもない。どんなって言われても決めることができないような、そんな子――
わかってる。
これは文句だ。警告だ。
間違いなく彼女は言ってるんだ。人が死んでも悲しまなかった俺に、警告をしてる。
『「正しいこと」はあるの。でもね、この世界に「正解」はないんだよ』
わかってる。
これは前置きだ。先入観を持たないための。
間違いなく彼女は言ってるんだ。人が死んでも悲しまなかった俺は、間違ってないと。
それでも
それでもそれはいい結果を生み出すものじゃない、と。
先輩は俺が無意識にやっていることに気がついてるんだ。俺にはわからないけど、俺が何かをしようとしないことに気がついてるんだ。だから、警告してる。
俺は走るのをやめた。荒くなった息を収めるために膝をつく。
「……考えろ想」
はぁはぁと息を吐き、吸う。その間、俺は一生懸命に考えていた。
「正しいことも、悪いことも関係ねえ……自分を変えるにはどうすればいい、想……」
ぽたり、と汗が廊下にたれた。
空の顔が浮かぶ。
「…………」
アイツを巻き込んでるのは悪いと思った。
俺の問題だ。アイツだって、わかってるんだ。俺がタバコを吸ってしまう理由。
空には、俺を変えられない。
「……どうすればいい、想」
ふっと息を気合を入れて吐くと、俺はまた走り出した。
「考えろ!」
怒鳴ると、校舎の中にその声はむなしく響いた。
どうしてと考えるだけが手段じゃなかったなら、俺はもう少し、まともな結果を見つけることができたろう。
どうして間違っていたんだろう。
溺れる俺は、何ものもつかめなかった。
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