■5
「それで、想タバコやめたの?」
という柴田の質問に、俺は
「富良野の冬と、僕のタバコは腐れ縁なわけで……」
と年齢を選ぶジョークで答えた。
柴田雅之。ボクシング部所属のルーキー&エース部員。
しかしその肩書きにとらわれない柔和な顔と、さわやか短髪ヘアが女の子に人気。性格も恐ろしいほど穏やか。なんとも俺の友人としては勿体ないほどのいい奴だ。
そして奴は二年越しの友達……つまり
「あぁ……だめだ。夏に屋上はだめだよ想。熱いもん」
「……そうだな、今日何度だっけ? お天気お姉さん蒸し暑くなるとか言ってたなぁそういや……」
屋上の合鍵を作った共犯の男でもある。
屋上は白い雲と真っ青な空、明るい、白色色の太陽に占められていた。ふざんけな! ってほどに昼間だ。
十二時四十分。俺たちの昼飯の時間はいつもここになる。なんでと言われれば「せっかく鍵があるのに!」という結果になる。貧乏根性丸出しではあるが、まぁその辺り考えたくないのがある。
「ね、想聞いてる?」
柴田が食べ終わったパンの袋をポケットにねじ込みながら(環境を考える善人)寝っころがった。流れる雲を見ながらあくびをする。
「ああ? なんか言った?」
俺も食い終わったおにぎりの袋を吹いてきた風に乗せながら(自己中心の底辺)寝っころがった。
柴田が不満そうな声を上げる。
「なんだよ。聞いてなかったのか?」
「ごめんなさーいと……なに? なんか面白い話題でもあった?」
二人だけで話すと二年間もつ話題というのは無い。俺たちはもう楽しい話という奴に飢餓状態だったのだ。うーん、だれかネバーランドまでマイケルジャクソン殴りに行ったとか、引越しおばさんに独占取材したとか言う奴はいないのか?
柴田はだからさ、と続けた
「天神祭り。明後日だよ明後日」
「え? もうそんな時期?」
「だって、八月入って二週間目の土曜日でしょ、毎年」
そうだっけ? と俺は去年のことを思い出す。
確か去年は……
「夏祭り、あるの知ってます?」
とその時はまだ中学生だった空がわざわざ部活中の武道場まで乗り込んできたのは覚えてる。
「知らね」
と武道場の端で、並んで座りながら道着姿の俺が答えたのも。その時俺の声がイライラしてたのも。
部活中はマジになりたいのは俺だけじゃないはずだ。中年の親父だって仕事の為に家族を捨てるのだ。男子高校生なんて部活にマジになったら人だって殴る。
そんなわけで俺は機嫌が悪かった。
「……どうします?」
少しうつむき加減に空は呟いた。
「どうって……別に、どっちでもいいんじゃねえの?」
と返す俺のいい加減さにか、空はしゃがんだままむっとして頬を膨らませた。
「そういうのじゃないんです。ちゃんと答えてくださいよ」
「ちゃんと答えてるだろ? どっちでもいいんだよ、俺は」
俺は地稽古(実戦形式の剣道の練習)をする仲間を見ながら呟いた。早くあそこに戻りたい。あそこに戻って戦わなければ、俺は周りを引き離すことができない。そうしなければ、俺はさらに高みに望めない。部活仲間なんて皆ライバル。そういうドライな仲間意識が剣道という武道にはある。
(……ああ、クソ、なんでこんなときに来るんだよ………)
と二週間後に迫ったレギュラー選抜の予定を考えていると
「答えてませんよ!」
といきなり空が怒鳴った。その声に一部の部員が振り返る。
「あ……いや、なんでもないんで」
俺は「痴話ケンカ?」とクスクス笑いが聞こえる武道場を、空の手を引いて後にし、外に出てから怒った。
「何やってんだよ……先輩だっているんだぞ? 俺、部活は真面目にやりたいんだよ」
「……ごめんなさい」
空はまた少しうつむき加減に呟いた。胸の前でおずおずと両手を合わせ、黙り込む。
はぁ、と俺はため息をついた。真面目だからなのかなんなのか、コイツは突然怒鳴ることが多い。話していてつまらないということも無いが、いきなり後輩に怒られるのはさすがに俺も嫌だ。
空は「でも」と言葉を続けた。
「私……行きたいです。お祭り」
「……祭りって、お前地元の人間だろ? 子供の頃から行き慣れてんじゃん」
そう言った俺に空はコクリと頷き、そのまま黙ってしまった。両手を合わせて、それをまさにマンガのようにもじもじさせる。
あぁぁぁぁぁと俺は頭をかきむしった。
俺というのは馬鹿な人間で、相手のことなどあまり考えられずに物事を言ってしまう癖がある。特に女の子には……
「……とにかく、部活終わってから話し聞くよ」
ここでこうやっていてもらちが明かないだろう。と、俺はまたあまり考えてない意見を口に出した。玄関をまたぐ瞬間、そのことが頭をよぎって足が止まったが、ブンと頭をふってそん考えを振り払う。いやいや、部活があるだろう俺! 強くならねえと、強く……
「あ……」
玄関からもう一歩踏み出そうとした俺の道着の袖が、小さなソプラノの声と共にぴんとはった。いぶかしく思って振り返ると、空の手が俺の袖を掴んでいた。
「ああの……そ、その……」
空の顔は武道場の前にある車のガラスの反射で見えにくく、俺は目を凝らす。
空は俺の顔を見ていなかった。俺に横顔を見せながら、伏せぎみの目でじっとお隣の体育館を見つめていた。胸の前に右手を、唇に左手を置いて。
顔は赤く上気していたかもしれない。
その表情はまるで周りの風景と相まって、俺に彼女を一匹のアゲハチョウのように感じさせた。彼女が握った袖の手が、俺を逃げないようにする為が、ささっと俺の手のひらまで移った。ぎゅっと握り締める。
「…………」
そして俺は不覚にもその表情に見とれてしまっていた。真夏の暑い日ざしの中、真っ白な肌の空の表情は、心の琴線を僅かに……涼やかに揺らしていたからだ。
「……嫌ならいいんです。でも、今言っとかないと……その……後でじゃダメだと思うんです!」
また、空は怒鳴った。でも今度はそれが嫌じゃなかった。
そっと、単純な好奇心で空の頬に手を伸ばし、その真っ白な肌が心地よいくらい冷たかったのを確認すると俺は
「フリッカージャブッ!!」
「うごほっ!?」
フリッカージャブを食らった。
鼻に走った激しい痛みに悶絶し、俺は屋上を転がりまわる。
「ぬほぉぉぉぉぉぉひょぉっぉぉぉぉー!!」
「大丈夫? 何度話しかけてもぼ〜としてるから……」
俺は見事な勢いで下から上へ駆け上がっていった柴田の腕と、それにはたかれた鼻を見た。うわッ 鼻赤ッ!?
「つあぁぁ!! お前ふざけんなよ!? もっと他に叩くところがあるだろ!? このバカ! 真正バカ!!」
「肩叩いたけど、反応しないから……」
「じゃぁケツでもなんでも叩けよ! ……あぁ〜イッツゥゥゥ……」
俺は鼻にそっとさわる。イタッ! いってぇよコレ……部活できるんだろうな……クソ
半泣きになりながら俺は鼻を押さえて立ち上がった。
「ったくよ。ふざけやがって!」
俺はビシっと人差し指を柴田に向ける。
「もう俺は帰るぜバッキャロ! そろそろ部活始める時間だからな!いってて……」
呟きながら俺は階段へ向かう。なんだか最近は屋上に来るとろくなことが無い……
柴田は、「あぁちょっとまってよ」と慌てて立ち上がると、俺の背中に怒鳴ってきた
「実はさ、中原達からお前に聞いといてほしいって言われてることがあってさ」
「あぁん? 中原?」
中原とは俺たちが高校一年のころの同じクラスの仲間だ。結構な人気者で、男にも女にも好かれる好青年だった。よくマンガとかで女に好かれる男は嫌われるが、実際の所そんなことは無い。女に嫌われるやつってのは、やっぱり男にも嫌われるものだ。その逆もまたしかり
しかし奴は一部の男に嫌われている。
なぜか、といわれればそれは略奪愛だとしか答えようが無い。言い方を変えればそう、
『寝取った』
わけだ。……まぁ、俺らとしては何も言うまい。その辺りは当事者の問題として処理してもらうしかない。略奪愛が良いかどうかも。
んで、その中原がどうしたって?
「『空さん、祭りは誰と行くの?』だって」
「…………」
俺は蒼い、真っ青に青い空に目をやった。
――やっぱ、よくねえよ、略奪愛。――
なまじ美人を彼女に持つとだめだなぁと俺は空を仰ぐ。
(「よかった……先輩、来てくれるんですね! 知らない男の人に無理やり約束されちゃって、不安だったんです」)
去年の夏祭り、あの時彼女には、二十四人の予約者がいた。
あぁ、美人っていったい……
■
空は思う。
あの時頑張った結果が、今の自分であるのだと。あの時頑張って、よかったと。
「ね、クー、クー」
水泳部所属の彼女は、泳ぎ終わって濡れてしまった体と肩までの髪をそっとタオルで乾かしていた。そこは随分と解放的な更衣室であったが、女子部員しかいない水泳部にはそれほど問題にされず、彼女達少数精鋭の女子水泳部員達はいつもキャーキャー騒ぎながら別段問題なく着替えている。
しかしその日、空は友人である七原綾瀬に肩を叩かれた。そしてその手にあったファッション雑誌を見た瞬間、どうして個室じゃないんだろう……と頭を抱えたくなった。
「浴衣……」
見た目は別段何の変わりもなかったが。
「そう、ゆ、か、た! もうすぐ天神祭りじゃない?」
「うん、そういえば……」
と言いつつ実はもう既にその時期はチェックしていたりする彼女は、冷や汗をタオルでごまかしながらハハハと乾いた笑いを浮かべた。
しかしそんなバレバレな態度も綾瀬には通じない。
「ねぇ、どれ買う? やっぱミニかなぁ……あ、でもちょっと派手だよね……この水玉は?あ、この金魚も可愛い〜水彩画かなぁ? ね、ね、どれがいい? あ、そうだ、あたし作ってあげてもいいよ〜 男っぽいって言われる綾ちゃんですけどね、去年見た通り、そういう裁縫得意なんだよ!」
本当に嬉しそうに、ウキウキしているという声と笑顔で綾瀬はファッション雑誌を指差す。空は少しだけ、その彼女からわからない程度に体を離した。
泳いでそのままの綾瀬の髪から、水が落ちてくるのが嫌なのでも、ほとんど裸に近い水着で、女同士引っ付きあうのに抵抗があるわけでもない。ただ、この綾瀬の楽しそうな顔は明らかに空をおもちゃにする気の目だったのだ。うーんと悩みながら「髪はやっぱりミディアム? エクステ使っちゃうのもありかなぁ……」といつの間にか髪型まで決められそうになっている。
「あの……」
「うん、やっぱりコレね。クーって、群青っぽい雰囲気なのよね。真っ青で涼しそうな」
とどうやら作る気であるらしい綾瀬がさしたのは木綿の生地だった。
「それで、髪はエクステつけて長めにして……ちょっと化粧は気合入れてぇ……履物はやっぱり……」
空は頬を引きつらせる。どうしよう……このままじゃ私、何か別のものに作り変えられる……!
「あの……!」
「うん?」
空が必死に上げた声にやっと綾瀬は反応する。そこに可愛そうな位泣きそうな顔をして手を握り締める空をみて、一瞬半笑いになり、それを必死で押さえ、彼女を抱いた。
「どうしたの〜? 怖い夢でも見たの?」
「ちょ、ちが……! 今笑ってた! 今綾瀬が笑ってるの見た!」
「よしよし……」
あぁ、と空は綾瀬の(失礼ながら)薄い胸の中で思った。
あぁ、このままだと綾瀬にお祭りに連れて行かれてしまうなぁと。
去年、想と祭りに行ったときは大変だった。
『えぇぇぇぇ!? なんで!? なんで来れないの!? ……オトコぉぉぉぉぉ!? 駄目。ぜったいダメ!! そのオトコ誰? 渡さないわ……私の作り上げた究極の美、「クーinサマーバケーション」は絶対に渡さない! 連れて来なさいクー! 私が……私がそのオトコと戦ってやるわ! クー! さぁ、早く! さぁ! さぁ!』
その後逃げるように想と祭りに行くと、次の日クラスで猛抗議を受けた。なぜか空の机に座り続け、授業中までそれを続けて、『座り込み』を敢行していた。空は少し泣きそうだった。
もちろん黙って居なくなっていても、次の日から口を利かなくなるなどということは無いだろう。綾瀬という人間はそういう人間だ。怒るときも、前向きに怒るという不思議な信念(ライフスタイル?)を持っているのだ。
そしてそんな彼女は、当たり前のように毎年天神祭りには空を着飾って、自分はジーンズにシャツという手抜きスタイルで向かう。空を着飾ることに時間とお金をかけて、自分まで気が回らないらしい。空としてはそれはありがたいと言うより、申し訳ない。その話を聞いたとき彼女はしばらくショックで立ち直れなかった。
そんな……綾瀬は十年間ずっとそんなことを繰り返していたのかと。
空と幼馴染のその少女は、六歳の頃からそんなことを続けていたのだ。
「ねえクー……」
綾瀬は抱いた空の頭に頬を寄せながら、感極まったように呟く
「今年はオトコとなんか行かないよね……」
ビクッ
とならざるをえない。空はゆっくりと綾瀬の胸の中から解かれた。
「……なに? 今の」
笑顔の綾瀬を見て、空は「ふあぁぁあぁぁああぁぁ…」とかがたがたとなり、声を震わせながら思った。
想先輩と付き合うのは、なぜ上手くいかないのだろう、と。
夏祭りは、近い。
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