■6
「勝負よ御浜想ッ!!」
「あちぃ……あちいよちくしょう」とバカ丸出しに俺と柴田が屋上に寝っころがっていたのはお昼十二時四十分。
やっぱり夏は暑くて、真っ青な空、真っ白な雲、キラキラと光る太陽に、照りつける太陽光、それを反射するコンクリートの床、少しだけ生えたコケと、時折慰めるように通り過ぎる群青色の風。そして世界に漂う真っ白な明るさ。そういうのすべてを、俺たちが「あちぃあちぃ」と受け入れていると、なんか変な声が現れるわけである。
「……お前誰だよ」
と俺は寝っころがったまま呟いた。俺の視線の先には階段の前でポニーテールの髪を風にさらしながら仁王立ちでする(……鍵は?)女。
……女かよ。なんだよ、あいつ女子生徒用の夏服着てんじゃねぇかよ。なんでだ、なんで俺の周りには普通の女が集まるらねぇんだ……
という俺の心境はいざ知らず、女はふふんと笑うとビシッと俺を指差した。
「アタシは七原綾瀬! クーの大・大・大親友よ!」
「……はぁ」
女のわけのわからなさに俺は気の無い返事をした。柴田は目をパチクリさせるだけで何がんだかわからず俺に目を合わせてくる。俺ももちろんわかるはずが無い。首をひねる。
女は偉そうに胸を(言っちゃ悪いがな、ありゃCもねえよ。よくてB、普通に見てAだな)張る。自慢気だ……
見た目は可愛いとかそういう分類の女の子じゃない。なんと言うか、熱い。このクソあっつい空気をさらに燃やし尽くしてしまうような、そんな雰囲気の持ち主だ。それに顔が小さい割りに目に力というか、自信が満ち溢れている。燃えているみたいだ……
……ん? ていうか赤くないか、あの目? カラコン?
ポニーテールの髪の一部にも赤のメッシュが入っていて、自分のいい所は自分自身がすべて知り尽くしてますって感じだ。発言すべてを見てもあっついなぁ……
綾瀬はずんずん俺に近づいてくると俺を下からのぞきこむように、腰を曲げてぐっと顔を近づけてきた。
「はぁ、じゃないわよ変態。オトコのくせして、シャキッとしなさい!」
俺は「はぁ?」と寝ていた体を持ち上げた。鼻先をぶつけるような女の目を見て、ちょっと体を下げる。……なんか喰われそ
しかし綾瀬もずいっと身を近づける。自信に満ちた目で、唇の端を持ち上げながら俺の目をのぞく。
なんだか俺も退路がなくなってきて逆に睨み返した。
「……俺は変態じゃねえよ」
「隠してもむ・だ・よ」
綾瀬は顔の前に人差し指を立てると、ちっちっちっと左右に振った。
そして声高に宣言する。
「アンタが無類の着物マニアなのは知ってんだから!」
「…………」
「……マジ?」
おろおろと俺の肩に手を置く柴田の鼻に、飲み終わったビン入り紅茶の空きビンを投げ捨てると、俺は立ち上がった。
女は腰を曲げて、覗き込んだままフッと不適に笑う。
「悪いけど……今年のクーは渡せないわ」
「……意味はさっぱりだが悪意は感じる。断る」
ぐっと睨み返す。
にやりと不適に笑う女とそれを睨む男。横で鼻を押さえて悶絶する男。
屋上は、今や闘技場だ。
「……しまったなぁ」
と袋に入ったおにぎりを見ながら条は呟いた。
ここは校舎内三年教室前。
西神楽東高校はA棟、B棟、C棟といった様に校舎が別れている。それぞれ特活棟、三年棟、下級生棟と呼ばれていて、その用途もまさにその名前通り。パソコン室や理科室などは特活棟、三年生は三年棟、一年、二年は下級生棟という配置だ。
これはこの校舎を増設するとき、校長が「三年生が受験に向けてしっかりと勉強できる環境を作るべきだ」と主張した産物である。もっとも、特活棟に移るのに不便な下級生達からは毎年文句が出ると言うデメリットの方が多いわけだが。
そして今、条は三年棟にいた。そろそろ文化祭も近いので、受験勉強ついでに学校に立ち寄ったのだ。教室では文化祭に向けて準備をしているクラスのメンバーがいるだろうという予想の元。
しかし予想は見事にスカされた。
準備は今細々とした所に着手していたらしく、準備委員(といっても志願者全員が準備委員になれるのだが)は公民館を借り切って準備しているらしい。携帯で電話したところ「あぁ、ゴメンね矢吹。今忙しくって……差し入れはいいわ。ありがと」とリーダーであるさやかに丁重に断られた。ちなみに矢吹とは条のことである(『条』→『ジョー』→『矢吹ジョー』)。
と言うわけで彼は袋にいっぱいのおにぎりをもてあましていた。
(……よくよく考えてみれば差し入れがおにぎりってセンスがないなぁ)
とか考えながら、条は一つを口に運ぶ。しぐれおにぎりは彼の好む所だ。
しかし残念ながら彼はシャケと梅干が苦手だった。ぱさぱさした物と酸っぱい物は条はダメなのだ。しかし袋の中はそのオーソドックスな種別のおにぎりが当然のように……しかもしぐれより配分は多めに入っている。
(どうするかなぁ)
と、もう一度思ったところで条は空を見た。
「……そういえば、想が梅干し好きだったな」
条の後輩である彼とはよく昼ごはんを一緒に食べた。部活を卒業した後でだが。実は部活をしていた頃は会話すらまともにしたことが無い。
あまり知られていないが、入部したての彼は、当時まさに『剣道の鬼』であり、それ以外のことは目に入っていなかった。ライバルと決めたものの為には徹底的に倒すための努力をし、計算し、さらに努力し、観察し、そして努力をする。想はそんな向こう見ずな男だったのだ。
そして当時剣道部部長であった条は、当然のように想に敵視されていた。そういうことにシビアだったその時の条は、想のことを逆にライバル視していた。「コイツは危ない」と。
それこそ後輩である想を観察し、研究し、策を立てたりと、他人から見たら情けないと思われてもおかしくないことをしていたが、そのときの条にはそんなことは関係がなかった。
男には譲れない瞬間がある。その瞬間を、彼はその時、ひしひしと感じていたからだ。
あの、戦う前に感じるゾクゾクするような瞬間。武器を手に取り、戦うべき敵と対峙した瞬間。戦う男は思うのだ。
『あぁ、俺はこの瞬間のために生きている』
『俺は勝たなくちゃいけない』
『俺はここに、俺が強いという誇りを掲げなくてはいけない』
想と戦っている時の条には、そう思える瞬間がそれこそ毎日のようにあった。
西神楽東高校の『三年生は夏までいずれかの部活に所属する』という校則……もとい『拘束』は、ほとんどの生徒が鬱陶しがっていた。当時、人気の無かった剣道部には、生徒会の査察もほとんど入らないと言うことで、そういう『校則』逃れの為に部活に入っている生徒が多くいた。
当然そんな剣道部には、まともに剣道をしようとする輩はほとんどおらず、ライバルと呼べるような人間は想だけ。
下級生をライバル視する自分の事をバカにしている同級生の部活仲間と、条は疎遠になっていった。
だが、それでもよかったと彼は考える。
他の部活仲間は最後の大会のとき、負けて笑っていた。打ち上げに使うカラオケの話をしていた。でも、彼は違った。条は泣いた。声を殺して泣いた。
(まだだ。俺は、まだまだやれる……! やれたんだ……!!)
そういう確信は、努力した者にしか訪れない。
(「……よくわかんねぇけどよ」)
他の上級生のせいで補欠に成り下がるしかなかった想は、泣いていた条を見下ろしながら呟いた。
(「アンタすげえよ。誰もアンタを褒めねぇしよ、皆バカにしてるかもしれねぇけど、俺はアンタがすげえと思うよ」)
想は立ったまま、つぶやいた。
大会の会場に使用された体育館の端で二人は、初めて口を利いた。
(「強ぇよアンタ。弱くなんかねえ。ダメでもねえ。最低の人間でも、負け犬でもねぇ」)
(「勝てなかったよ。負けたよ。だから、それがどうしたってんだ」)
(「それがなんだってんだ」)
(「アンタは強ぇ」)
(「俺があんたの為にできることなんてねぇ。アンタはその苦しみを一生味わい続けなくちゃいけねぇ。ずっと、敗者でも負け犬でもないのに、そういうレッテルを貼られる」)
(「それでも俺は思う。アンタはすげぇ。一年ちょっとしかなかったし、その間一回も口利かなかったけどよ」)
(「俺、アンタすげぇと思うよ」)
(「アンタと戦って、勝ちとか負けとかなんかじゃ計りしれねぇ、もっとすげぇもん、もらった気がするよ」)
そうやって彼はところどころつまりながら条に話しかけ続けた。その間、およそ一時間はあったのではないだろうか。一年間、一度も口を利きあわなかったライバルは、その空白を埋めるように一生懸命になっていた。
条は、ずっと泣いていた。抑えても抑えても出てくる涙が、鬱陶しくてたまらなかったが、それでも彼は泣いた。一年間一度も泣くことも悲しむことも無かった彼は、その感情をすべて吐き出すのに、一生懸命になっていた。
そして、想が思ったことを話しきり、条の涙が、心の塊として外に出ることをやめた時。 条は言ったのだ。
「お前って――」
「バカだ……」
屋上に静かに響いたその声に、マウント状態で想に殴りかかろうとしていた綾瀬は動きを止めた。その下で正確に、俊敏な動きで綾瀬の咽喉を突こうとしていた想も。
「ジョーさん! 止めてくださいよあの二人!」
階段から上がってきた条を見つけた柴田は、(なぜか)鼻を押さえながら条に抱きついてきた。顔を上げて泣きそうな顔を条に向ける。
「いきなり二人が喧嘩しだして、俺、俺……」
「わかったわかった。わかったから、お前は鼻をかみなよ」
条は柴田を適当になだめると、想を見た。
「何だこの惨状は! お前いつから女に手を出すようになったんだ!?」
想は少しだって目を離せないと言外に表情を固まらせて、怒鳴った。
「俺はまだ殴ってねぇ! この女がいきなり来て殴りかかってきたんスよ!」
と、指差した相手を見て条は一瞬絶句する。そして今度こそ頭を抱えてしゃがみこんだ。どうなってるんだ……なんで想と一緒だとこんなことばかりになるんだろう……
という条の葛藤はやっぱりいざ知らず、綾瀬は条の方を見もせず、想のほっぺを引っ張って怒鳴る。
「アタシはクーの敵をすべて排除するわ! アンタは敵なのよ!」
想はその手をブン、と振り払って顔を綾瀬の鼻に近づけて返す。
「ざけんなッ!」
「やめろって!」
マウント状態から今度はチョークスリーパーの態勢に移る綾瀬を見て条は再度ため息をつきたくなった。はっきり言って下着が丸見えである。というかそれだけならまだしも、遠くで柵に引っかかってるあれ、もしかしてブラじゃないか? どれだけ暴れたんだ……
「このぉ!」
ウゲッと想は綾瀬に殴られて悶絶する。それを見て柴田があわわあわわわわわわと慌てふためいて条にしがみついた。
「ジョーさん頼みますよ!」
「いや、しかし……」
「ジョーさぁん!!」
「あぁ……もう」
条は二人に近づくと、力ずくで引き離した。想を適当に突き飛ばし、綾瀬の肩を乱暴に掴む。
「ちょっとッ! 触らないでよ!」
「だったら離れるんだ。俺は別にお前に危害を加えようとしてるわけじゃない。喧嘩をしたいのならここじゃない場所でお互いの納得の行く形でやる。それができなきゃずっと殴り合いが続くだけだ」
条の(それなりに経験を元にした)理路整然とした言葉に綾瀬は言葉に詰まる。
……いや
いやそうではない。綾瀬は違う。彼女の心情は『自由自在』そんな論理に縛られた人間などに興味は無い。彼女は唇をわなわなと震わせ……
そして口に出すのだ。そう、それは別の言葉で言うなれば――
「……お、おにいちゃん!?」
世界は、狭い。
そして上がってくる、カンカンという音
「あれぇ? なんか楽しそうな声が聞こえるよ……」
「フー先輩、喧嘩らしいから行かないほうがいいんじゃ……」
「もう、何言ってるのよクーちゃん。かわいいなぁもう……」
「うわ、ちょ、抱きつかないで……」
……いや、ホント狭い。思ってる以上に。
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